永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

愛は愛すること アリストテレス

『愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存すると考えられる。 アリストテレス

「愛」というものはシンプルなようで難解なのでしょうね。

相思相愛などという関係性であれば言うことはないですが、そうであっても、「自分はどうなのだ?」という問いに発展するのではないでしょうか。

アリストテレスは、「愛される」よりも「愛すること」にフォーカスを当ててこのフレーズを作っています。

そこからは、「愛」の主体がどこにあるのか? を問われているように感じます。

どこから「愛」を発しているのか?

人間は、誰かに愛されたいと考えます。

誰にも愛されていないと考えると、途端に寂しくなって、生きて行くエネルギーを削がれてしまいそうになりますね。

どこの誰かは知らなくても、自分が愛されていると実感できると、それだけで温かく感じる感覚もあります。

ギリシャ語には、アガペ(神の愛)、フィリア(兄弟愛)、エロス(性愛)などがあります。

人間は、快感とセットで兄弟愛や性愛を求める傾向があります。

人間の三大欲求に照らせば、至極当然のことなのかも知れません。

でも、順序を間違えると、ボタンを掛け違えが生じてしまいます。

誰にも愛されていないと感じていても、創造主である神には愛されているという事実を考えてみて下さい。

それが実感しにくくても、「私は神に愛されているから大丈夫」と自分に語りかけてみて下さい。

これが、あなた自身を落ち着かせます。

そうすると、今度は、快楽を求める見せかけの愛よりも、本当の愛を発揮できるようになりますよ。

その実、アガペ(神の愛)こそが、あなた自身を生かしている真実なのですからね。