『愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存すると考えられる。 アリストテレス』
「愛」というものはシンプルなようで難解なのでしょうね。
相思相愛などという関係性であれば言うことはないですが、そうであっても、「自分はどうなのだ?」という問いに発展するのではないでしょうか。
アリストテレスは、「愛される」よりも「愛すること」にフォーカスを当ててこのフレーズを作っています。
そこからは、「愛」の主体がどこにあるのか? を問われているように感じます。
どこから「愛」を発しているのか?
人間は、誰かに愛されたいと考えます。
誰にも愛されていないと考えると、途端に寂しくなって、生きて行くエネルギーを削がれてしまいそうになりますね。
どこの誰かは知らなくても、自分が愛されていると実感できると、それだけで温かく感じる感覚もあります。
ギリシャ語には、アガペ(神の愛)、フィリア(兄弟愛)、エロス(性愛)などがあります。
人間は、快感とセットで兄弟愛や性愛を求める傾向があります。
人間の三大欲求に照らせば、至極当然のことなのかも知れません。
でも、順序を間違えると、ボタンを掛け違えが生じてしまいます。
誰にも愛されていないと感じていても、創造主である神には愛されているという事実を考えてみて下さい。
それが実感しにくくても、「私は神に愛されているから大丈夫」と自分に語りかけてみて下さい。
これが、あなた自身を落ち着かせます。
そうすると、今度は、快楽を求める見せかけの愛よりも、本当の愛を発揮できるようになりますよ。
その実、アガペ(神の愛)こそが、あなた自身を生かしている真実なのですからね。