永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

毎日を最後の日として生きる モンテーニュ

『明けゆく毎日をお前の最後の日と思え。そうすれば当てにしない日はお前の儲けとなる モンテーニュ

新玉の年の初めの御寿

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

人生の区切りは、ハッキリしませんが、ふり返る時に、あの時が区切りだったのかも知れないと感じるものでしょう。

明日が来るという保証は無いのですが、明日が来るのが当たり前だと無意識に考えて生きている人が多いでしょう。

前向きに明日のために備えをしている人と、成り行き任せで生きている人では、その日その日の有り難みの実感に大きな差がありますね。

明日のことをイメージして、ToDoリストを作っていなくても、何らかの希望と期待を持っていると、朝日が登った時に有り難みを感じることでしょうね。

一方、その日その日でクタクタぼろぼろになっているのなら、明日のことにまでイメージは及ばないかも知れませんね。

そもそも、「最後の日」というイメージが、実感ができない人も多いのではないでしょうか?

このフレーズからイメージするのは、「惰性で迎え過ごす一日」も「積極的に生きる一日」も、「時間の流れでは同じ一日」ですが、その一日を「貴重な一日」と意識することによって、「全く違う一日」に感じられるとニュアンスを感じています。

「最後の日」というイメージ付けが、「特別な日」という設定になり、それまで感じられなかった事を味わうことができるので、それが儲けになるのではないか? という理解ができますね。

私は、残念ながら、最後の日にどのように生活し、何を食べて、どのように、誰と過ごすのかをまだイメージできていないのです。

でも、せめて、今日を大切な一日という気持ちで、味わい尽くしたいと考えています。

今年、いや今日は、何を味わえるのか楽しみですね。