永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

嫉妬とは? 阿部次郎

『嫉妬とはなんであるか? それは他人の価値に対する憎悪を伴う羨望である。 阿部次郎』

自分にないモノを他人が持っているとついつい羨ましくなります。

所有物よりも、その人の存在価値が周囲に認められていて、それに比較して自分が情けないと感じる時に、最も強く嫉妬心を抱いてしまいますね。

「あの人はスゴいなあ」という憧れの気持ちは、次には「あの人だけどうして?」という憎悪を伴った気持ちに変わることが多いようです。

自己受容の習慣ができていると、自分と他人の境界線が引けるので、「あの人はあの人、自分は自分」と冷静になれるのですが、そのように考えられる人は、まだまだ少数派なのかも知れません。

自分が満たされない気持ちを埋め合わせるために、多くの場合、他人を下げて評価することで、バランスがとれたことにして、あくまでも自分の中だけで帳尻を合わそうとするのです。

インターネットの掲示板やSNSで起き続けている事実無根の中傷誹謗の根っこには、このような心理もあるのかも知れないと考えています。

大切なのは、自分も他人も正当な評価をすることです。これは、非常に難しいコトです。

まるでどこかの誰かに煽られて、歪んだ競争社会を生きる間に、「正当な評価」というスケールが壊れていっているように私の目からは見えています。

人の基本的評価は「存在そのものbeing」であり、行為(doing)においては「出来高評価」もあるので、余計に混乱するのです。

一番大切にしたい土台の部分は、「存在そのものbeing」です。ここに、自分自身が大丈夫だと確信できていないと、たまたまの結果次第で、自分も周囲も振り回してしまうことになるからです。

嫉妬に心を乗っ取られないために大切なコトですね。