永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

他にいない存在として、神の御手 出エジプト8:23-24

『わたしは、わたしの民をあなたの民と区別して、贖いをする。明日、このしるしが起こる。』」【主】はそのようにされた。(出エジプト8:23-24新改訳2017)』

第4番目から第10番目の災いは、エジプト全土の及びましたが、イスラエルの民が住むゴセンの地には影響がありませんでした。これは、神の御手により選びの民を守られたことを示しています。

また、第10番目に関しては、イスラエルの民が過越の祭りを創造主である神の命令通りに行った信仰を通じて、難を逃れることができたのです。

エジプト全土に及んだ災いは、エジプトの民を苦しめるよりも、最高権力者であるファラオに対する働きかけでした。

それでも、ファラオも弱気が表面化しだしたモノの、まだ、イスラエルの民を去らせることには同意しません。

このようなやり取りが、第10番目の災いまで続きます。

このエジプトに対する災いの意味は、創造主である全能の神が、本当に何の力もないものを自分の神として自分の願望を実現させようとする偶像(エジプトで崇められていた神)がどのような状態かを示すためでもありました。

バアルゼバブ(ハエの主)、エイピス・ブル(初子の聖牛)、ムネヴィス(聖牛。太陽神ラーの象徴)、セラピス(癒やしの神)、イムホテプ(薬の神)など、エジプトの崇拝対象になっていた神々が無力なことが明らかにされたコトでもあったのです。イスラエルの神こそ唯一無二の存在であり、創造主である神であることを知らしめるためだったのですね。

権力者だけが責められるのと、国全体が苦難に遭うのでは影響も違ってきます。エジプト全体に知らせるために、エジプトの国中で苦しみが広がっていたのです。

また、創造主である神が下す、災いには、必ず、意味があるということも大切なポイントですね。

今の時代に生きる私にも試練や困難が来ることがあり、辛さを噛みしめることがありますが、それにも、大切な意味があると、考えて受け止める、気づきの機会として生かしたいと考えています。