永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

心を配る存在 箴言5:21

『人の道は【主】の御目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を向けてくださる。(箴言5:21新改訳2017)』

「ヘリコプターペアレント」という言葉にドキッとする人もいるでしょうね。

自分の子どもが可愛すぎるあまり、求められていないのに、ヘリコプターのように、子どもを監視して、口を出したり、また、学校や職場にも、クレームを入れるのだそうです。

過保護過干渉という表現を遙かに超えた話ですね。


それはさておき、「理想の親」とは、どうでしょうか?

子どもの意志を尊重しながら、子どもの成長ペースに寄り添って、必要な手助けをしてくれるというイメージでしょうか?

今の時代は、「子どもの宿題は親の宿題」らしく、夏休み明けには、立派すぎる作品が提出される時代ですね。親の気持ちは満たされるかも知れませんが、子どものためになっていない残念な一面もありますね。


突き詰めて言えば、子どもの成長を願うならば、親としての「もどかしい気持ち」をグッと我慢して、子どもが課題に集中できる環境を整えることこそ大切な要素ですよね。

子どもとして本当に大切なコトは、モテる限りの自力で、課題に挑むという事です。


創造主である神は、人間にとっては究極的な親であり、子どもである人間の道筋に「心を配る」というのです。

目に見えなくても、そっと寄り添い、不安を感じる心配では無くて、配慮というニュアンスの心を配っていてくださるのですね。