永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

モーセの逡巡 「私には上手く伝えられない」 出エジプト4:10-17

『それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」(出エジプト4:10-17新共同訳)』

モーセの心配事は「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」でした。

どうも、話すのが不得手だったようです。人の前に立つと余計に緊張するので、口下手と自覚している人にとっては、上手く伝えられないから、その役割を果たせないと思う気持ちはわかります。

しかし、「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」と、ここでも、創造主である神が「大丈夫だ」と言ったのに、さらに尻込みをするので、さすがの神もお怒りになったのですね。

次に、神は「雄弁な兄アロン」と一緒に行くようにと助け手まで用意されたのです。

神がモーセに語り、モーセがアロンに伝え、アロンが民に語るという順序で、神の啓示がスムーズにイスラエルの民に伝わることを保証されたのですね。

人間は、神の召命に対して、どこまでも尻込みをしますが、神の保証を頼りに、それぞれに与えられた役割に取り組んでいくと、今までとは違う展開が待ち受けているのですね。