永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ほどほどの幸せ シェイクスピア

『人間は何も食べないで飢えて病気になるのと同様に、あんまり食べ過ぎて飽和状態に陥ると、やっぱり病気になる。だからほどほどでいるということは、決して中くらいの幸福どころではない。 シェイクスピア

「テキトウな」というと「いい加減」などと同様に、中途半端というニュアンスで使われているコトが多いので、筆者としては戸惑いを感じます。

「いい加減」は本来は「良い加減」であり、「ちょうど良い」ということですからね。

「適当」も本来は「適宜適切」というような、「程よい」というニュアンスです。

人間社会の様々な歴にの中で、世の中には「適当」は「テキトウ」、「良い加減」は「いい加減」という、デタラメなことを表現することが、用法の標準になってしまったのですね。

近年でも、食べ過ぎによる肥満や、拒食による栄養不足、貧困による餓死なども聞かない日はありません。たまに、TVでしている大食い大会は、見る気もしません。「限界に挑むにしても、大食いは健康にも悪いし、それだけ食材があるならば、食べられない人たちに食べてもらえないものか?」と考えているからです。

このフレーズからは、シェークスピアの時代でも、経済格差が過食や栄養不足として表面化していたように感じますね。

身体も一つ、口も胃袋も一つですから、自分の健康状態に見合った食生活を充実させていきたいです。

自分のとっての「適当」や「適量」を理解して、「中くらいの幸福どころではない」幸福を感謝したいですね。