永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

大丈夫だと思いたいのは大丈夫じゃないから

「大丈夫」と繰り返し自分に言い聞かせていた時期があります。

どうしてかというと、不安が優位で、「大丈夫じゃなかった」からです。

自分にとって「大丈夫」である根拠をイメージしながら、繰り返し「大丈夫」を繰り返すことで、筆者自身は不安が薄まり、以前ほど「大丈夫」という言葉を繰り返さなくても良くなりました。

不思議ですが、これは、私自身の体験であり、経験です。


この「大丈夫」というフレーズにも様々な使い方があります。

でも、「本当の大丈夫」には、ナカナカ使われませんね。

良く目にする光景に、子どもがこけてヒザをすりむいて痛くて泣いているのに、母親が「大丈夫、大丈夫」と言いながらアプローチすることがあります。寄り添う母親の姿は素晴らしいのですが、子どもは痛いことを認めて共感して欲しい気持ちもあると思いますから、このケースの母親は、ステップを一つスキップしているのかも知れません。

あるいは、別の状況では、真実を追究されて、それを誤魔化すために「大丈夫」などと言い繕うこともあります。このようなときの「大丈夫」は要注意ですね。

自分が何気なく口にしている「大丈夫」を意識化すると、自分の傾向に気づきがあるかも知れませんね。