永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

人生の荒野の中で 申命記8:2

『あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。(申命記8:2-4新共同訳)』

イスラエルの民は、奴隷にされていたエジプトから出て、創造主である神が備えていた「約束の地」にたどり着くまでに、約40年の年月を必要としました。

ここの記事は、それを回顧しています。

歩いても約二週間と言われる距離ですが、その中を行ったり来たり、彷徨っていたのです。ただし、それは、創造主である神が共にいるという保証付きの旅路でもあったのです。

「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるため」と記されているフレーズは、非常に多くの人が知るモノです。

この要点は、人は食物だけではなく、創造主である神によって生かされているとの意味ですね。

その保証が表現されているのは、「この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。」とあるように、衣食住と旅の保護もあったことを表現しています。

人間は、欲望が満たされない今ココにないものを強請りますが、必要十分なモノは備えられているというコトに目を向ける必要がありますね。

現代に生きる人間にとっても同様です。

人生自体が長い旅路です。ストレートに、安住の地にたどり着いて、ずっと平穏無事に暮らす人は、極々、少数派ではないでしょうか?

それぞれのより良いことや、信仰者として備えられた安住の地を確信することまでには、荒野の旅路がずっと続くのです。

どうせなら、創造主である神と二人三脚で歩む方が安心ですね。