永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ガッカリの正体は? 自分 相手 運任せ?

今日は残念な気持ちだったという簡単な表現は「ガッカリした」と言いますね。

希望や期待が実現しなかったときに味わう挫折感でしょうか?

そして、何に対しての期待感だったかによって、何に、誰にガッカリしたのかが変わってきます。

よく耳にするケースは、「○○さんにはガッカリした。あんな人だとは思わなかった。」ですね。

その人に対する期待感が大きかったのでしょうね。でも、実際にはそれほどでもなかったという結果ですね。

別のケースでは、自分に対してガッカリしたということも多々ありますね。

張り切って、取り組んでみたモノの、モノの見事に目的を果たせなかったというパターンです。

「自分自身にガッカリ」のパターンですね。

自分の努力の方向性と内容は充実していたのか?とか、もしかして、実力を遙かに越えていて、大半が運任せだったのではないかという、検証も必要になりますね。

もちろん、結果を期待するテーマに挑むときには、自分の実力がスムーズに発揮できるようにコンディションを整えたいですね。

自分自身の努力と方向性をより良く充実させていきたいですね。

でも、ガッカリの一部は、大きな期待の裏返しのようにも感じますから、そのように考えれば、未知の可能性が内包されているのでしょうね。