永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

希望や夢に振り回されたくない

人間は、自分の範囲で、夢が希望を思い描くという自由が与えられています。どのように考え、どのように実現させていくかも自分のチャレンジとしてOKなのですね。

むしろ、そのチャレンジの積み重ねが人生を積み上げていくことなのでしょうね。

後世で、偉人と評される人の中には、一般人には荒唐無稽な夢を持ち、一心不乱に取り組んで、その領域にたどり着いた人もいます。それらは、失敗の連続で並の神経では耐えられない、茨の道と言った方が近いのかも知れません。「失敗は実現できない方法を見つけたに過ぎない」と考えれば、エンジョイできる余地もありそうです。

あえて、その路線に突き進むのも選択の一つとして間違っていないでしょうね。

一方、「夢や希望を持たない」という超現実主義に生きるのも、可能性を否定していて、寂しい人生と評されるかも知れませんね。

百名山を踏破したという人もいます。その人にとっては、一気に達成できたのでは無く、実現可能な山から登り始めて、到達できたと言うことなのですね。

山々が連なっている景色を見ていると、平面的な印象がありますが、別の角度から見て見ると、奥行きがあり、手前の丘から、その奥にさらに高い峰があったりするのですね。

このような状況を参考にしながら考えていくと、希望や夢の持ち方は、手前から視界に入っている所から、だんだんと奥行を持たせて行くというのが、堅実なようにも感じます。

現実と夢や希望のギャップを確認しながら、少しずつ近づいていく楽しみ方も充実感を深める可能性があると考えています。

一度決めた「夢や希望」は、柔軟に変更可能な設定にしておいた方が、それに固執して振り回されないのかも知れませんね。