永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

罪に定められない人 ロマ8:1

『従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。(ロマ8:1-2新共同訳)』

罪に定められないことは自由と言うことですね。

「命をもたらす霊の法則」と「罪と死との法則」との対比がなされています。

つまり「罪と死との法則」が人間を縛り、罪に定めていたのですね。

「命をもたらす霊の法則」に移行する為の条件は「キリスト・イエスに結ばれている者」という条件ですから、これをクリアすれば罪に定められなくなり、解放されるのですね。

「結ばれる」という表現は、契約社会をイメージします。

福音の三要素によりイエス・キリストと結ばれるということにより、聖霊による「罪科支払い済み(PAID)」という印を押されるのですね。

でも、肉体とセットになっている罪の性質を無効化することはできませんから、肉体に生かされている間は、罪の影響を受けるコトになりますね。

「罪を犯すこと」と、「罪を常習的に犯し続けること」には大きな違いがあります。「罪を犯すこと」は、過ちをしても引き返すことができます。しかし、「罪を常習的に犯し続けること」は、罪の中にドップリ浸かってしまうことを意味していますから深刻な状態ですね。

生地についた一点のシミは目立ちますが、全体がその色に染まってしまえば判別不能になるからです。ただ、染まったような状態からでも、専用のガウンが一人一人に用意されていますから、それを纏えばシミも覆われるのですね。これが、「命をもたらす霊の法則」に移行する決断をするコトなのですね。