永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

携挙や再臨について 1テサロニケ4:13-18

『 ◆主は来られる
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。(1テサロニケ4:13-18新共同訳)』

「すぐに来る」とイエス・キリストが昇天してから、約2000年経ちました。

イエス・キリストの十字架以降は「恵みの時代」と言われています。西暦は、イエス・キリストの来臨に基づいて刻まれています。よくわかりませんが、少しのズレはあるようですね。

この時代に、イエス・キリストが私のために十字架上で死なれて、葬られ、三日目に復活したと信じる人は、もれることなく携挙されるコトになっています。これは、恵みの時代と艱難期とされる時代の狭間で起きることなのですね。

葬りの習慣は、時代によっても、世界中の地域によっても様々ありますが、死者に対する敬意や気候に配慮することが求められたりします。もう一つは、携挙の時に備えて、土葬にするという意味合いもあったのではないかと推察します。最近では、スペースの課題や衛生的な課題で、火葬にするのがポピュラーになっています。

ニュースなどで伝え聞く事件や事故や災害の状況では、ご遺体が発見されないケースもあります。それも含めて考えても、信者であれば、空中にイエス・キリストが迎えに来てくださる携挙の時に、身体を与えられるのだろうと私は信じています。であれば、土葬にこだわる必要もないし、散骨でも問題はないとも考えています。(様々な気持ちや事情には配慮する必要性も考えられますが・・)

ただ、信仰者の希望は、この空中携挙の時が、より間近になっているということです。これを念頭におきながら、歩みをすすめたいと考えています。