永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

タネは神のことば

『 ◆「種を蒔く人」のたとえの説明
「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。
道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。
石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。
そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。
良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」(ルカ8:11-15)』

ここでは、福音(神のことば)について例え話で語られたことを説明しています。

どれだけ良いことを聞いても、どれくらいの人が心に受け入れるかと問われてもいるのですね。

信じられないことや自分に大切なコトだとは思えないと感じる人が多くいるのでしょうね。

「他人事」に心を奪われていると、自分にとって一番大切なことを取りこぼしてしまうことにもなりますから注意したいところです。

地上に雑草という草はないそうですが、一つ一つの名前を知らないと、無意識に「雑草」と読んでしまいます。しかし、それらがなくならないのは、非常に多くの種が蒔かれているからですね。冒頭に書かれているように大半は、根付かずに日の目を見ずに消えていくのでしょうからね。これも、創造主である神のなせるワザなのですから、スゴいことです。

自然界を通してや、人とのコミュニケーションを通して示されている自分にとって大切なエッセンスを受け取っていきたいですね。