『…もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。(ロマ8:31-32新共同訳)』
敵と味方に分けて考えることを二元といいます。
利害に向き合うと対立が生まれますから、そのような構図になってしまうのですね。
このような紛争の解決には知恵が求められます。しかし、人間の知恵ですべてを解決できない状況をたくさん目撃もしています。
そもそも、人間はアダムの時から、創造主である神の愛を拒絶する立場をとりました。
それでも、やがてメシアであるイエス・キリストが、創造主である神の愛にたどり着ける架け橋を完成して下さると約束されたのですね。
今の時代の信仰者は、メシアであるイエス・キリストを自分の贖い主と信じることでその架け橋を渡ることができ、敵対状態だった立場を180度転換することができたということですね。
今でも、真の信仰者の数は少数派だと言われていますから、この地球上では、アウエーな状況に大きな変化はないのですね。
しかし、個人の立場の違いは明白です。信仰者はすでに創造主である神の味方です。
これは、地上を含めた支配権が、やがて、サタンから創造主である神に変わるときに絶大な効果を発揮するのですね。
信仰者は、まさにその先取りをすることができるのです。
目に見える世界では、どちらが明白な勝利者なのか分かりませんが、永遠の世界ではすでに決着はついているのです。
どちらにつくかは、それぞれの自由意志に委ねられていますね。