永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自分はできると感じるコトがワナ

人生の中で、「今、自分は運気が良い。つきまくっている。」などと感じた人もいるでしょうね。あるいは「こんなに幸せで大丈夫なんだろうか?」と幸せすぎて不安になるというケースもありますね。

聖書の中に出てくる預言者エリヤのケースが人間性を分かりやすく表現しています。1列王記18章から19章にかけての記述です。

預言者とは、創造主である神のお告げを預かって伝えるパイプの役割です。その役割の時には、超人的な能力が与えられ任務を遂行できるのです。しかし、現実は弱さを持つ一人の人間に過ぎないのですね。

バアル信者に対しての戦いは、カルメル山で大勝利に終わりましたが、その後、落ち込むのです。バアルの権化、イゼベルの逆鱗に触れ、殺害予告に震えて、エリヤは身を隠すのです。エリヤは、霊的な興奮状態のあと落ち込み、自分の死を願うほどでした。でも、そこには神の御使いが励ますために遣わされました。

我を失うような興奮状態は、等身大の自分をイメージする冷静さを忘れさせる危険性を孕んでいます。そこまで、興奮してしまうほどのエネルギーがどこから供給されたのかを忘れると、空しさに取り憑かれ、不安に苛まれることになるのですね。

素の自分でも、有り余るエネルギーをいただいて興奮状態にあるときも、自分を支えている「ゆるがない存在」を常に意識していたいものです。それは、創造主である神のめぐみです。

功績や献身的な奉仕など目に見える行為や成功体験を誇りにしないように気をつけたいですね。目に見えるコトよりも動機の部分が常に探られているのですからね。