『イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(マルコ2:5新改訳2017)』
街で見かける風景に、近づきがたいようなガッチリした男性に、小さな子どもが平気でくっついていき甘える、そして、近づいてきた子を抱き上げ満面の笑みを浮かべる男性というものがあります。
そうです。この男性の子どもだったのですね。この子が何かをした時には、叱るかも知れませんが、親子としての関係があるからこそ、周囲が近づきがたくても、平気でそばにくっついて行けるのですね。
一方、人間にとっての神のイメージはどのようなものでしょうね。
ある人にとっては、何でも願いを叶えてくれる存在とイメージしたり、とても厳格で怖い存在と感じていたり、その存在自体も意識していないなどと多様です。
冒頭の聖句は、創造主である神の第二位格が肉体に宿って誕生し、30才をすぎて公生涯を送り出してからのことです。
今で言うと、脳卒中で、その人の周囲の人達が、イエスの癒やしを求めて運んできたのですね。
すると、まず「子よ、あなたの罪は赦された」と言われたのです。
これは、メシアであるイエス・キリストがやがて、あなたの罪も背負って十字架で贖いから、もうすでに信仰によって赦されているのだよということなのですね。
「癒やし」というと、人間的には、病気が癒やされることと認識してしまいますが、人間にとっての「究極の癒やし」は、「魂の癒やし」なのですね。
「子よ、あなたの罪は赦された」は、最も大切な人の魂の癒やしの宣言なのですね。
そして、
『「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」すると彼は立ち上がり、すぐに寝床を担ぎ、皆の前を出て行った。(マルコ2:11-12)』
身体の癒やしも与えられたのですね。