永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

祈って得られるものは?

どのように祈るかほどバラエティー豊富なことはないでしょう。

自分の願いのため、人の病気の癒やしのために祈ると言う人が多いでしょうね。

私は、平安でいられるように祈ります。毎日、色々な変化に心を乱されそうになるからです。

本当に平安な状態というのは、「何事もない凪」のような状態ではなく、ガリラヤ湖の嵐の中で木の葉のごとく揺られる船の中で眠っておられたイエス・キリストのような状態なのだろうとイメージしています。

つまり、「平安」とは、「何も無い状態」ではなく、「何があっても大丈夫でいられる」心境のことを指しているのですね。平安を祈るというのは、「大丈夫でいられない」時があるからなのですね。

ただし、祈って願い事をしていてもナカナカ実感として手応えが無いこともあります。

でも、「天来の慰め」が与えられているという実感を持つ人は多くいます。御心が成る時まで慰めの中を生きていくことができるのですね。

同意の上で、自分のために祈ってもらって、不快感も持つ人はほとんどいないという事実もあります。お祈りをして、病気の症状が改善された人もいれば、全然変わらないと言う人もいます。でも、何か暖かさが感じられたということもありますね。

祈りは、不思議なモノですね。