ネットに中傷を書き込んだ人物に刑事責任や損害賠償を請求すると、私生活の悩みを前面に押し出して「書き込まれた人より、私の方がもっとつらいんです」と罪悪感ではなく悲壮感を漂わす。中傷する人の年齢・職業・性別・出身地は異なるけど「自分かわいそう」的な思考はみんな共通する、これが人物像。
— スマイリーキクチ (@smiley_kikuchi) February 26, 2018
インターネットの世界で巻き起こっている日常風景の一つは、中傷誹謗による、いわゆる炎上です。
物理的な火事であれば、消防車を呼べば、被害を最小限にするべく消火活動をしてもらうことが期待できます。しかし、インターネットでは、様々な対策が「火に油を注ぐ」ことになってしまうようです。
実際に、当事者になったスマイリーキクチさんによると、そのような人達の傾向に共通点を見出したと言っています。
それは、「自分かわいそう」的な思考なのだそうです。
真偽のほどを確かめなくて、誹謗中傷を繰り返したとしても、自分はかわいそうなのだからいい(許される)という考え方のようです。
もう一つ、構造的に想像されるのが、それらの人に対して、煽る役割をするメディアであったり、いわゆるデマニュースを流布する人達がいることです。
心理的には、放火魔的な要素もあるように感じます。
「他人の不幸は蜜の味」などとも言いますが、他人を自分がいる「不幸」という領域にひきづり降ろしたいという破壊的な要素を感じると実に恐ろしくなります。
自分よりも、もっと不幸な人をつくりだして、自分はその上だからという安心を得ようとしているのかも知れませんが、結果、不幸が増え、自分も惨めになっているというループに陥っているだけなのですね。
私が、そのような立ち位置にいないか、冷静に確かめる視点を持ちたいと考えています。