永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

争いをする病気

『違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと、敬虔にかなう教えに同意しない者がいるなら、その人は高慢になっていて、何一つ理解しておらず、議論やことばの争いをする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、ののしり、邪推、絶え間ない言い争いが生じます。これらは、知性が腐って真理を失い、敬虔を利得の手段と考える者たちの間に生じるのです。(1テモテ6:3-5)』

「争いをする病気」と記されています。

健全な信仰者とは、「私たちの主イエス・キリストの健全なことばと、敬虔にかなう教えに同意」する人を意味しています。

しかし、そうではない人は、どうやら、争いをする病気にかかっているようです。

混乱を起こしたいだけという風に感じます。

世の中、至る所に、登場するようですね。

真理を理解していないこと、高慢などが、背景にあるのですね。

敬虔とは、真理に対して、「敬い慎む」こととされています。

しかし、争いをする病気にかかっている人達は、「敬虔を利得の手段と考える」ようですね。

なんとも、本末転倒なのですが、「知性が腐って真理を失」うと、そのような状態に陥るのですね。

「争いをする病気」の人とは、無用な争いをしないように気をつけたいですね。