永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

連帯保証人になったパウロ

『オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。(ピレモン15-20)』

パウロは、「もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。」と記されています。

オネシモは、かつて、ピレモンの奴隷だったようです。

何かの要因があり、ピレモンの元を離れていたのですが、パウロに出会い、信仰を持つことになりました。

そして、パウロがピレモンへの手紙をしたためて、オネシモをピレモンの所へ送ろうとしたのですね。

パウロは、連帯保証人として、オネシモの負債があるなら、それを肩代わりすると明記しています。

パウロは、中保者としての役割を買って出たのですね。

これは、かつて、イエス・キリストパウロの罪の負債を背負って下さったことに習って、実行しているということですね。

パウロの性格の一端が出ていると感じるのは、「あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。」という部分ですね。

これは、相手にとっては、プレッシャー以外の何ものでもないでしょうね。

「奴隷」から「主にある兄弟として」という立場の変化は、人間が「罪の奴隷だった」状態をイエス・キリストが贖いだして下さったという事でもあります。

イエス・キリストの十字架による贖いを受け容れる信仰者は、「神の子」とされ、神の養子として、御子イエス・キリストと共に、相続者に加えられるのですね。