『キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。(ピリピ2:6-11【新改訳2017】)』
二一世紀の今は、権力の全盛期かもしれません。
経済や地位を得たものが、独裁に近い振る舞いができてしまう現実があります。
しかし、やがて、そんな時代も終焉を迎えることになるでしょう。
西暦の基準である「イエス・キリスト」の御名によって。
「すべての舌が」とあるのが、権威を認めざるを得ない状況になると言うことです。
その時に、降伏した側にいるのか、待ち望んだイエス・キリストの権威が権力を包み込むのを感慨深く喜ぶ側にいるのかによって、大きな差があります。
少々のワイロを海外口座に入金してもらっても、引き出せる日が来る保証もありません。
袖の下を広げて、ワイロをかき集めたとしても、使い切れないかも知れませんね。
今からでも、「イエス・キリストは主です」と告白して、イエス・キリストの権威を認める生活をすることができます。
信仰者として、心の権威にイエス・キリストを据えることで、そこから、平安な御国がスタートできるのです。
ハレルヤ!