私自身は、ずっと居場所がありませんでした。だから、摂食障害に苦しむ若い人たちの居場所をつくってあげたい、という漠然とした思いをいま持っています。
摂食障害は人によっていろいろですし、若い人たちに伝えられるメッセージはそんなに多く持っていませんが、どうか死なないでほしい。
「今日は、死なない」
その積み重ねで、私は生き延びてきたように思います。
中学生の時に摂食障害だと気づいたが、抜け出すのに約25年間を要したとの取材記事がありました。
「今日は死なない」と一日一日を生きてきたそうです。
語るにも適当な言葉が見当たらないほど過酷な日々だったのでしょうね。
「一日一日」ということばが印象的で、毎日の積み重ねが人生なのですね。
「今日も生かされている。今日も生きる。」とはつらつと生きたいですね。
聖書の中の記述には次のようなケースもありました。
「すると見よ。十二年の間長血をわずらっている女の人が、イエスのうしろから近づいて、その衣の房に触れた。「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」と心のうちで考えたからである。イエスは振り向いて、彼女を見て言われた。「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、その時から彼女は癒やされた。(マタイ9:20-22【新改訳2017】)」
この女性のケースは、「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」という信仰が救ったと記されています。
ケースバイケースですが、長患いは体力的にも精神的にとても辛いものですからね。
どのような状況であれ「…にもかかわらず、今日も生きる」と生きていきたいです。