永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

格好は?

「かっこうつけている」と「かっこいい」の違いはどこなのでしょうね。

見た様子が、サマになっていると感じた時に「かっこいい」は、実感を伴ったため息のように口から吐き出されることばのように考えています。ほめ言葉ですよね。

一方、「かっこうつけている」は、一生懸命、背伸びをしているけれど、サマにはなっていない様子を見た時に感じる気持ちなのでしょうね。

身につくとか、身についていないとか

あるいは

地に足がついているとか、浮き足だっているとか

下駄を履いている、竹馬を履いている

なんて、自分の等身大からかけ離れた状態に陥る時に、バランスが崩れるのでしょうか。

「等身大に纏う」であれば、「かっこいい」と見られ、どれだけ高級ブランドを纏ってみても「等身大を越えていれば」ブカブカで「かっこつけている」などと、周囲の目に映るのでしょうね。

まあ、だんだん似合ってくるということもありますからね。

鏡を見続けていると明確になってくることでしょう。

バイブルの中に出てくる、サウル王の鎧を着せられた少年ダビデと考えると浮かんでくるイメージがあるのかもしれません。