永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

「次」の前に 今のターゲットイメージを鮮明に

そろそろ中継地点で、この辺りでバトンタッチができそうだという状況に来た時に、次のことが頭をよぎりませんか?

これまでの制限された生活を振り返って、「もう少しで制限から解放される」という気持ちは、大変よく分かります。

でも、「あとどれくらいで、その中継地点にたどり着けるのか?」に意識を集中させたいものです。

なぜならば、それをクリアするのが、次への絶対的な前提条件だからです。

ターゲットに対する思い入れの度合いがポイントのように感じています。

それは、自分自身の限られたエネルギーをどのように分配するのかに関係しているように考えているからです。

その場にいて、他のイメージをすることによって、注意力散漫になるリスクを回避したいですね。

それを先送りにして、自分の足元の安全にエネルギーを使いたいと考えます。

私は、自分をマルチタスクな人間だとイメージしていないので、このような発想になるのかも知れませんね。

でも、人間の集中力には限界がありますから、自分の状況に合わせて、対策を持つことは大切だと考えています。

自分が、プレーヤーなら? マネージャーなら? 監督なら? など立場によって、役割が違います。

自分がプレーヤーなら、今ココに集中した方が、自分の役割を果たし、結果に繋げるためにどのように、振る舞うかのシミュレーションですね。

自分にとって、最重要な「今ココ」への意識を大切にしたいですね。

キリスト教という看板 でも、キリストが不在 黙示録3:19-20 ラオデキヤへの手紙

『19 わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3:19-20 新改訳2017)』

伝道メッセージで、この箇所を多用することがありますが、これは、一義的には心から【主】を閉め出している状態のクリスチャンに対する警鐘です。

ラオデキヤの教会は、裕福な紳士・淑女の集合体だったようですが、その霊的状態に【主】は目を注いでいました。

「叱ったり懲らしめたり」されるうちは、改善の見込みがあると思われているからと考えられるのなら、その改善策についての提案を見ていくことができますね。

状態がどうであるかの確認からです。

そもそも、信仰者は、メシアであるイエス・キリストの十字架の贖いを自分自身に受け入れて救われます。

その時に起きる内面の変化は、「聖霊の内住」です。ペンテコステ以降の信仰者は、信じた瞬間に起きる変化です。

しかし、肉体的生命に宿っていますので、心は二分されています。

「肉的な領域(本能的な欲望…生命維持のための欲求も含まれる)」と「霊的な領域(聖霊の宿る所)」です。

本能的な欲望が最大化すると、霊的な領域はスペースを失います。これは、人間の肉体が有限である一つの現れです。

そうなると、心から「聖霊【主】」を閉め出すような状態になってしまうのですね。

日常的な【主】との交わり(デボーション)によって、心の状態のバランスが整えられていくのが理想です。

それを願っていても、その気持ちとは、裏腹な現象も起きるのが現実ですね。

もし、自分の心から「聖霊【主】」を閉め出していることを感じて、【主】のノックに気づいたなら、心の扉を開けばよいのです。

その様にするだけで、「ともに食事をする」というかつての関係以上になれるというのです。

究極的な勝利者は「メシアであるイエス・キリストの招きに応答して、心に迎え入れる人」です。そこに、「主、共に居ます(インマヌエル)」が到来するのです。

やがての時、「千年王国(メシア的王国)」での到来を前倒しした、「平和」な状況がそこに展開されるのです。

本当の親密な交わりこそ、相互に癒やしをもたらすのですね。

動画 現場検証 現場百回の教訓


www.youtube.com

現場からの報告です。検証動画付です。

2022年1月17日発生/アメリイリノイ州 シカゴ
友人とバーに出かけ、遅く帰宅した。翌日、壁に穴が開いているのを見つけたので、順番に拳を並べ、誰が穴に入るか確かめた。その結果、犯人がわかりました。

一家の母親が捜査官となり、検証動画を撮りながら、容疑者に拳を壁の傷と照合させました。

そうすると、何と4人目がピッタリと一致することが判明しました。

これには、本人は苦笑いをするしかありません。

また、容疑者達も真犯人が発覚したことから、自分たちの容疑が晴れて、大きな笑いが起きています。

もう、すでに真犯人は分かっていたようです。

何と容疑者は女性で、頑強な拳を持っている様子です。

将来的に、パートナーになる人は、余程の覚悟をしなければならないのではないでしょうか?

細腕だからと油断して嘗めてかかるとエラいことになるかも知れませんよ。

その覚悟がある人は、一緒に「アンガーマネージメント」を学ぶことをオススメします。

余計なお世話だとは分かっていますが、老婆心ながら…。

 

アンガーマネージメントとは?
アンガーマネジメントは怒らないことを目指すものではありません。違いを受け入れ、人間関係を良くする心理トレーニングです。

1970年代にアメリカで生まれたとされている怒りの感情と上手に付き合うための心理教育、心理トレーニングです。

怒らないことを目的とするのではなく、怒る必要のあることは上手に怒れ、怒る必要のないことは怒らなくて済むようになることを目標としています。
当初は犯罪者のための矯正プログラムなどとして活用されていましたが、時代の変遷とともに一般化されていきました。

www.angermanagement.co.jp

 

 

友情とは? 育むためには? ジョージ・ワシントン

『友情は成長のおそい植物である。それが友情という名に値する以前に、それは幾度か困難の打撃をうけて堪えなければならぬ。 ジョージ・ワシントン

「桜の木を切ったのはボク」とカミングアウトして怒られなかったというエピソードの持ち主です。

しかし、実際には…
子供のとき桜の木を切ったことを父親に正直に話したら、かえって褒められたという挿話(ワシントンの斧 - George Washington's axe)が流布しているが、これはワシントンの死後にマウントバーノン教区のパーソン(牧師)、メーソン・ロック・ウィームズが子供向けに書いた『逸話で綴るワシントンの生涯』の中で、「嘘をついてはいけない」という教訓のために書いた作り話であるとされている[35]。
という話になっています。

有名人の逸話は、一人歩きをするのですね。

でも、初代大統領として、多くの人と出会い付き合った彼が発したフレーズには、重みを感じます。

「友情」については、ジックリと育てる必要性を感じていたようですね。

「出逢い」「信頼関係」「試練」、そして「継続」あるいは「リセット」の経過をたどると記されています。

当人同士の信頼関係を保つことができるかが、最大の課題ですが、家族や周囲の人との関係や利害関係も含めて、様々な嵐に巻き込まれることも想像に難くありません。

ましてや、政治的な駆け引きまで関係してくると考えると、さらに複雑な要素が増えていきます。

政治信条や背景、それぞれの考え方の違いを理解した上で、お互いに許容できないことには、「友情」を保ち、育むことができません。

「不信感」という嵐、周囲の「不同意」という困難は、非常に大きなダメージの要素です。

その打撃に耐える価値がある関係のみが、維持されて、発展するのでしょうね。

「友情」は、互いに自立してこそです。お互いを支え合うためにも、ある程度の時間をかけて、育んで行きたいですね。

 

ジョージ・ワシントン(英語: George Washingtonグレゴリオ暦:1732年2月22日 - 1799年12月14日(ユリウス暦:1731年2月11日生まれ)[1])は、アメリカ合衆国の軍人、政治家。初代アメリカ大統領[2]。
アメリカ合衆国建国の父のひとりとされている[3]。

ja.wikipedia.org

体調維持は、睡眠、栄養、適度な運動、日光浴、そして、深呼吸

整形外科医の雑談として聞かせてもらった話なのですが、

「最近、かかとが痛いと訴えて来院される子がいます。いろいろな検査をしてみても、どこも悪くない。どうやら、横隔膜が正常に動かないために、かかとに影響が出ていると考えざるを得ない。その原因は、過度のマスク着用でしょうね。」

とのことでした。

正体不明の感染症対策として、マスクや消毒などが、強く推奨されてきましたが、その弊害が出ている一面が浮かび上がったと感じています。

人混みでは、用心をしてマスクをするにしても、それ以外の所では、マスクを外して、正常呼吸や深呼吸をする必要があると考えています。

人間には、良質な睡眠が大切です。

これも、気候の変化など影響を受ける要素が多いので、「寝た気がしない」という話題に接することも多くあります。

夕食後のまったりタイムはキケンです。ついつい、テレビを見ながら、ウトウト、コツコツ、眠ってしまうことがあるからです。さらに、スマホやテレビ画面も寝る間際まで見てしまいますから、我ながら、良質な睡眠の阻害要因をつくってしまっていることに大反省です。

まったりタイムは、対外的な緊張感から解放されるので、心身共にリラックスしてしまうのでしょうね。

栄養も健康維持には欠かせません。なるべく食べすぎないように努力をしています。小食を心がけていても、ご馳走にありつくと、ついつい喜んで食べてしまいますから、それによって、体調が影響を受ける時もありますね。

適度な運動は、ウオーキングです。これは、夕食後の習慣でなるべくいきたいと考えています。天候などでいけない時もあります。この時に、深呼吸も行います。

少し、暗くなりかけた時間は、大抵、涼しく汗をかくこともありません。深呼吸も新鮮な空気でできると幸せな気持ちになれます。おいしいニオイ、時にはBBQの香りに襲われる時もありますね。ホタル族のタバコの香りには、少しトホホな気持ちになりますが…。

日光浴に関しては、車を運転する時に、運転席は結構、日焼けしますね。これが、メインの日光浴です。

毎朝、カーテンを開ける時や新聞を取り込む時に、外気に触れ、外光に当たりますから、これが、心身の切り替えには、役に立っていると考えています。

健康維持は、日常生活の積み重ねですから、何かが不足していると感じたら、その時に、補う方法を考えるという習慣も大切だと考えています。

栄養の補充は、乾燥アーモンドを一日15粒までかじるようになりました。カリカリコリコリ、リスのように少しずつ食べています。

アーモンドに含まれる代表的な栄養素
「タンパク質」「リン」ビタミンB1」「脂質」「鉄」「ビタミンB2」「糖質」「亜鉛」「ナイアシン」「ナトリウム」「銅」「ビタミンB6」「カリウム」「マンガン」「葉酸」「カルシウム」「ビタミンA」「パントテン酸」「マグネシウム」「ビタミンE」「食物繊維」

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苦痛な時間と楽しい時間 箴言2:10

『10 知恵があなたの心に入り、知識がたましいに喜びとなるからだ。(箴言2:10 新改訳2017)』

身体を硬くして、畏まるのはなぜでしょうか?

神聖な儀式と考えれば、そうなるのも無理はありません。

しかし、奴隷状態からの解放は朗報です。

ましてや、永遠への希望は、大宴会をするレベル以上の大きな喜びです。

約2000年前、イスラエルベツレヘムで、メシアであるイエス・キリストが赤子として誕生した時に、天使の軍勢が、大合唱をしていました。それを知らされたのは、野宿をしていた羊飼い達でした。

彼らは、御使いの福音を聞き、その赤子を訪ねて、大きな喜びを共有しました。

「知恵」や「知識」の本質には、悪を回避し、真理を理解し、それによってもたらされる喜びに誘ってくれます。

もちろん、マナーは大切ですし、喜びの表現にも、個人差が大きいということを理解しておく必要があります。

でも、喜びを噛みしめながら、それを共有できる空間がある人は幸せです。

信仰者には、【主】と交わり、信仰者同士この喜びを共有し、交わる特権があります。

特権というと優越意識を疑われますが、これは、これから信仰者になると言う人にも等しく与えられる物です。

『12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ1:12-13新改訳2017)』

これは、選ばれた血統の人ではなく、全人類に【主】が備えられたのです。つまり、養子として「神の子」とされ、第二位格のイエス・キリストと、共同相続人としての立場が確約されるのです。

厳格な儀式が続けば、苦痛の時間です。足はしびれを切らし、腕時計を何度も見ることになるでしょう。

でも、楽しい時間であるならば、あっという間に感じるコトでしょうね。

一人一人にとって、大切な「知恵」や「知識」が見つかることを願ってやみません。

「知識がたましいに喜びとなる」という体験を積み重ねていきたいと考えています。

程よい対人関係が大切 オノレ・ド・バルザック

『あまりうちとけ過ぎる人間は尊敬を失います。気やすい人間は馬鹿にされます。むやみに熱意を見せる人間はいい食いものにされます。 オノレ・ド・バルザック

「ド・バルザックの「ド」は、貴族を気取った自称」というユニークな一面を持つ、興味深い人物です。

彼の作品については、次のような評価があります。

諸作品は、深刻で根源的なテーマを扱いながらもすぐれて娯楽的でもある。高潔な善人が物語に登場することも少なくなく、かれらは偽善的な社会のなかで生きることに苦しみながら、ほぼ例外なく苦悩のうちに死んでいく

などと表される作品群を産み出しています。

でも、多くの人生を観察し、「娯楽的」に「高潔な善人」を通じて「偽善的な社会の苦しみ」「苦悩の死」という流れが、彼の中では鉄板なのかも知れませんね。

これは、華やかな世界への興味を駆り立てるだけではなく、その結末が、苦悩の死という落とし所が、読者の心のバランスを整えているのかも知れないと推察します。

あくまでも、「娯楽的」という視点が、人気の要素だったのかも知れませんね。

このフレーズは、人との距離感のとり方にヒントを与えてくれているようです。

「うちとけすぎる人」は、馴れ馴れしいとか、明け透けと話をするとか、距離感が近すぎる人を想像します。

確かに、ベタベタされると、距離をとりたくなりますね。

「気やすい人」は、軽くあしらわれるということなのでしょうか? 馬鹿にされても、気にせずに自然体で振る舞える人も居ますが、自分自身のアイデンティティーは失いたくないですね。

「むやみに熱意を見せる人」は、そのエネルギーと努力だけ、「トンビに油揚」をさらわれるように、持って行かれるのですね。

自分の身の置き場所で、程よい人間関係を構築するためのヒントとして、生かしていきたいフレーズです。

 

オノレ・ド・バルザック(フランス語: Honoré de Balzac 発音例, 1799年5月20日 - 1850年8月18日)は、19世紀のフランスを代表する小説家。
イギリスの作家サマセット・モームは、『世界の十大小説』のなかで、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べている。バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学ドストエフスキートルストイ)のさきがけとなった写実的小説群である。
レ・ミゼラブル』で著名なヴィクトル・ユーゴーや、アレクサンドル・デュマの親友でもある。
ド・バルザックの「ド」は、貴族を気取った自称である。

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