永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

良質な睡眠を確保したい

「不眠でカウンセリングを受けたい」とか「心療内科を受診したい」など、不眠が悩み事の大きなテーマになる時代です。

パソコンやスマホなど光る画面を眺める時間が長いと、睡眠の質が下がるのではないかとの指摘もあります。

使い方の工夫で、良質な睡眠に近づける様にしていきたいですね。

体調不良に至る要因は、睡眠不足が多いのだそうです。

夜中に何回も目が覚めるなどのイメージを持つ人でも、熟睡できている時間が、ある程度あればクリアできていることもあります。

しかし、目を閉じていても、眠りが浅く、睡眠が足りていないケースもあるようです。

昼間の活動状況により、「バタンキュー」と表現される様な熟睡状態になることもあります。

身体への負荷は、偏りがない方が、良いのかも知れませんが、イレギュラーなイベントだと起こりうる話ですね。

肉体的な疲労は、寝なくては疲労回復ができませんから、深い眠りに誘われるのでしょう。

精神的な疲労や考え事、悩み事などは、睡眠の妨げになることが大いにあります。

この場合は、思考の整理が必要ですね。

寝るためにも準備が必要で、堂々巡りの自動思考から、入眠するモードへの切り替えが必要です。

考え事をメモしたり、図形化することができる人なら、「その続きは、また明日」と切り替えやすいのかも知れませんね。

日頃から、思考をメモに書き出す習慣をつけるとより良質な睡眠に近づける可能性が見えてくると私は考えています。

財産形成のために 箴言13:11

『急に得た財産は減るが、少しずつ集める者は、それを増す。(箴言13:11新改訳2017)』

多くの人を魅了する財産の増え方に「宝くじ」というものがあります。

これは、第2の税金とも言われています。

それは、当選の金額を大きくしてありますが、その半分以上が還元されずに、様々な事業に使われているからです。

当選者は、多くの金額を得ますが、大半の人は、寄付をしている様な状況なのですね。

当選者の多くは、やがて破綻する傾向が強いと聞きます。

その当選金は、自分が長い間コツコツと稼いだものではなく、急に得たものだからです。

「天は二物を与えず」と言われていましたが、メディアの発達により、多彩でお金もある方々が多くいることも目の当たりにする時代です。

自分には、才能も財産もないと悲観的に考える人からは、羨む気持ちや嫉妬する気持ちが出てくることもあります。

しかし、美貌や多彩や財力は、無いと感じる人には気になるのですが、あればあったで、その扱いに困るようです。

人によっては、財力があっても、それを減らしてはいけないというプレッシャーになったり、美貌がかえってコンプレックスになったりするようです。

これを回避するための方法として、「自分にあるものを直視すること」や「あるものを感謝して受け入れること」があります。

自分のものと感じられていないから、振り回されるのですね。

何かは与えられているはずですから、それを発見することが財産形成の第一歩なのでしょうね。

そして、それを生かして育てていくコトも大切ですね。

金銭的な価値観を財産だと考えていると、それは、勘違いになることがあります。

自分が自分として生きられるコトこそ、最大の財産だと考えられませんか?

その中にも、バランスが必要ですが、お金とソコソコ上手に付き合い、自分自信を大切にできているという実感が持てれば、最高の人生だと考えます。

嫉妬はパワーになる ポープ

『卑しい心がその奴隷となって苦しむ嫉妬は、学問もあり、気性のすぐれた者にあっては競争心となる。 ポープ』

嫉妬の気持ちに苦しむ人と、それをパワーに変えられる人の差は歴然です。

嫉妬の奴隷になってしまうと、気持ちをかき乱されて、卑しい心があれば苦しみ悶えます。

それは、「他人は変えられない」という原則から考えると、至極当然なことです。

嫉妬の奴隷になるのは、変えられない相手に執着し、どうにもならない現状に悶えている様子です。

せめて相手と向き合うことができれば、勝負にはなるとは思いますが、所詮、他人格なので、見解の相違で物別れに終わる可能性が高いですね。

しかし、自分の決断で、考え方を変えられる自分自身にフォーカスするならば、状況は変わってきます。

それが、嫉妬をパワーとして生かすエネルギー変換のワザなのです。

ライバルを意識するコトは、一つの基準として必要なのです。

ですが、ライバルを越えるところにターゲットを置くと、自分の伸びしろを過小評価してしまうことになるかも知れないのです。

人生に競争はつきものですから、それを意識しつつ、その本質は、自分自身がどれだけ必要な努力をすることができるのかに焦点を合わせる方が良いのです。

また、競争も「殺すか殺されるか」のような血みどろのイメージではなく、さわやかなイメージで行いたいモノです。

環境に優しい燃料を求める時代になっています。

その時代にふさわしい、マインドを大切にするエネルギー変換方法を会得していきたいと考えています。

結束を得る一つの方法 偽旗作戦とパンデミック

グループの中で、内輪もめが収まらない時、そのグループに対しての部外者からの攻撃が、結束を強めて、内輪もめが収まるというケースがあります。

それは、そのグループの存続が脅かされる状況が起きたので、もめ事よりも、存続の方が重要視されたからですね。

国の場合でも、このような手法が用いられることがあると言われています。

汚職やスキャンダル報道で、権力者の立場が悪くなると、外敵を仕立て上げるのです。

時には、テロ事件や軍事衝突を装い、批判勢力に対して、ターゲットのすり替えを行うのです。

今度、「○○国が攻撃をしてくる」などと聞いたら、状況を冷静に観察してみる必要があるのかも知れませんね。

パンデミックなどと言われる状態も、意図的に作られていると考える人もいます。

それは、多くの人の目を惨状に向けさせるためと言われます。

一般的に、歴史をふり返り、その状況が意図的に作られていたというストーリーなどが公開されれば、通用しなくなる作戦ですね。

何が起きているのかを冷静に観察する必要がある時代です。

そして、その状況によって、誰が得をするのかを考える必要もあります。

大衆に制限を加えて困窮する人がいる中で、濡れ手で粟の大稼ぎをしている人がいれば、不思議ですね。

そこで得た資金で、世の中を歪めようとしていたりして…。

果たして、いつまでうまく民を騙してイケるでしょうかね。

自分の決断に対しては、自分で責任を果たすという人が増えれば、流れも変わるのかも知れません。

「上手くいけば自分の手柄、上手くいかなければ誰かのせい」が、まかり通る世の中では、あまりにも寂しすぎますね。

煌びやかさよりも大切な本質 出エジプト20:24-26

『あなたは、わたしのために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。しかし、もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。のみを当てると、石が汚されるからである。あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。(出エジプト20:24-26新共同訳)』

ここでは、祭壇を作りなさいという命令です。

この時には、幕屋の設計図を示す前です。

土の祭壇は、とても質素に感じますが、これには大切な意味がありました。

それは、カナンの偶像崇拝との差をつけるためでした。

カナンでは、とても細工に凝った祭具が用いられていました。

しかし、創造主である神が、イスラエルの民を、真の礼拝をする民として育てるためには、質素な祭壇が、とても大切な要素だったのです。

また、石の祭壇をつくる場合でも、自然のままの石を使うように記しています。

ここにも、カナンとの差別化があります。

それは、巧みな祭壇をつくると凝った造形を刻みたくなり、それが、崇拝の対象となってしまう傾向があったので、それを避ける意味でも、シンプルな祭壇を推奨したのです。

階段を作らないことにより、90cm~1m程度の高さになります。

どのような形状にしても、その本質は、信仰の行為でつくられる祭壇です。

創世記では族長が、主への生贄を捧げるために祭壇をつくりました。

時代に応じて、その時のリーダーがシンプルな祭壇で、創造主である神に、真の礼拝を捧げています。

切石を用いないという教えは、ソロモンの神殿でも採用されています。

石の割れ目にノミではなく、木のクサビを入れ、水をかけて膨張させて加工していたそうです。

創造主である神は、イスラエルの民に、単純で素朴な礼拝を教えています。

「霊と真を持って(ヨハネ4:23~24)」とありますから、礼拝者は場所や形式ではなく、本質的な礼拝が求められています。 

荘厳さを感じる所は、吟味が必要です。本質や実質が欠けているところに創造主である神は臨在していないのですね。

箔の付いた煌びやかな祭壇よりも、真の礼拝者を喜んでくださる主なのですから。

動画 踊りたくなる様な快感


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シャワーは気持ちの良いものですね。

亀さんのシャワーを見たことがなかったのですが、新鮮な動画でした。

傍から見ると、亀さんの滝行のようにも見えなくはないですね。

それにしても、気持ちが良さそうな、足とシッポの動きです。

亀さんは、感情を表現しないようなイメージを抱いていました。

その認識を変える必要がありそうです。

亀さんは、感情表現が豊かなのかも知れません。

それとも、あまりの快感に、ついつい油断して感情表現を開放してしまったのでしょうか?

人間の場合、お風呂をシャワーだけで済ますという人が増えているようです。

私は、湯船に浸かるようにしています。もちろん、シャワーも大好きです。

なので、節水シャワーヘッドを物色していました。

良いものに巡り会えたら、この亀さんのようにダンスをしているのかも知れません。

自主規制の非公開です(笑)。

そのようになっても、湯船に浸かるというのは、深部体温を保つために大切な要素なので、季節を問わずに続けていきたいと思います。

それは、基礎免疫力のためには、深部体温を保つことが基本だからです。

犠牲の本質 サンテグジュペリ

『犠牲とは、おまえをなにものからも切断することなく、逆におまえを富ますものだ。 サンテグジュペリ

いろいろな犠牲が払われて、人間社会が成り立っています。

自分が意識しても、意識しなくても、誰かの犠牲によって、生活をすることができているのが本当のところでしょうね。

犠牲と聞くと、身を削るイメージがありますが、このフレーズでは、「富ます」と記されています。

自分の利を求めない適正な「犠牲」は、誰かの為になり、回り回って自分に報酬として返ってくるというサイクルでしょうか?

犠牲の精神によって得られる富が、心理的報酬ということもできます。

誰かのためにすることも大切ですが、その前に、自分のために、言い換えるならば、自発的にすると言う心構えがあってこそ、その富を実感できるのかも知れません。

ですから、究極の犠牲は、自発的に、惜しみなく行うということが大切なのでしょうね。

犠牲には、リスクを伴いますから、覚悟と勇気と大胆さが必要になります。

また、時には、自分の思い込みから、的外れな行為になることもあります。

それも含めて、チャレンジしていくことが求められます。

さらに、自分が評価されることを主眼とすることは、一番的外れになりますから、注意したいですね。

真の富とは、どのような味わいなのでしょう?