永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ときめきが薄れる モンゴメリ

『大人になるというのは、つまらないものね。ようやく分かりかけてきたわ。子どもの頃、ほしくてたまらなかったものでも、大人になって、いざ手に入れてみると、もう半分もときめきが薄れているのね。 モンゴメリ

赤毛のアン」で有名なモンゴメリです。

「憧れやときめき」も「人生の経験値」と反比例してしまうようですね。

大人になっても、少年・少女の気持ちを維持しているような天真爛漫な人に出会うと羨ましいと感じます。

私にないモノを持っている人に出会うからこそ羨ましいと感じるのでしょうね。

モノとの関わり方を考えてみると、多くのモノに囲まれている人は、それほどの執着心を感じない人もいるのではないかと考えています。

あるモノに対する思い入れが深いかどうかで、ときめきも大きくなるのでしょうか?

お菓子のおまけのおもちゃなどをお小遣いの範囲で少しずつ買っていた人が、大人になると自分が欲しいおまけをコンプリートしたくて、大量買いすることを「大人買い」と言います。

大人の財力のスゴさはあるでしょうけれど、少しずつたまっていく楽しみからは遠のいてしまう気持ちもあるはずですね。

何かに「ときめき」を感じられるような大人で居たいと感じるフレーズでした。

ハイプライスとプライスレスの違い

「かけがえがない存在」は、他に代替えができないことを表現しています。

この一つの表現に「わたしの目にはあなたは高価で尊い(イザヤ43:4)」というものがあります。

これは、創造主である神が、被造物である人間一人一人に向けている愛を感じる部分でもあります。

この「高価」という理解で、自己評価が変わってしまうこともあるようです。

そもそも、「道を踏み外した人間に助け船を出すために、三位一体の唯一神の第二位格(御子イエス・キリスト)が、肉体に宿って贖いのいけにえとなり、全人類の罪科を払いきり、信じる者を創造主の養子(神の子)とする」というのが、「究極の愛」の真相でしたね。

「高価」というのは、御子イエス・キリストの生命とつり合いがとれる価値なのです。

ですから、人間はそれを信じるだけで自分の罪科を免除してもらえるのです。

人間には、その「高価」を支払うだけの財力を世界一の大富豪であっても、持ち合わせていないのですね。

このことから、この「高価」は、「ハイプライス(値段が高い)」よりも、「プライスレス(評価不可能)」と解釈する方が、ストンと腑に落ちるように考えています。

もし、自分のいのちをかけてもおしくないと考える愛する対象がいるとしたら、スゴい幸せな人だと思います。

そうであれば、その人が愛している人は、きっと他の人では代替えがきかない大切な存在なのでしょうね。

この「高価」を他の翻訳では「宝」としているモノもあります。

愛の人 箴言10:12

『憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。(箴言10:12新共同訳)』

「憎しみは愛の変化系」と表現したことがあります。

「愛憎」という言葉もあります。

「愛しているのに振り向いてくれないから憎たらしい。」などとも聞くことがあります。

かつて日本にも「鬼畜米英」という言葉があり、メディアがこれを声高に伝えていたそうです。これは、国民感情を煽り、敵国として米国や英国と徹底的に闘わなければならないという空気を醸成させるためだったと評されています。

これは、メディアがさらに盛んになった現代社会においても、プロパガンダとかフェイクニュースなど、ますます盛んになっているように感じられます。

憎しみを増大させて、人間関係にヒビを入れ、人の心に火をつけて、燃料を注ぎ込み、火に油を注ぎ込むような卑劣な手段を繰り返し繰り返し、使い続けているのです。

それに、気づいているなら、客観的に色々な情報に接して、冷静に判断をする必要があるのでは無いでしょうか?

「愛はすべての罪を覆う。」で、連想するのは、御子イエス・キリストです。全人類の罪科を贖った唯一の御方で、間違いなく愛の源なのです。

憎しみに生きるよりも、愛に生きた方が、圧倒的に幸せなのですからね。

ケチな願い 星新一

『人間とはどいつもこいつも、いよいよとなると、けちな願いしかしないものだ。 星新一

「何が欲しい?」と問われて、明確に表現できる人が羨ましいと、私は本気で思っています。

また、「この世で最後の晩餐に食べたいものは?」という問いにも、答えに詰まってしまいます。

私の中に、明確なイメージが無いからですよね。

シミュレーションをしておかなきゃと考えているのですが、棚上げしている一つのテーマです。

「お前が求めるのなら、国の半分でもやる」というような王様もいます。

どのような要求でも答えられる神さまであれば、人間の些細な思いつきなどスケールの小さいことではないでしょうか?

コトの大小にかかわらず、適切なお願いができるように考えておきたいと思うところであります。

全力のペース配分

『全員が全力で働く会社は生産性が低い。』という指摘もあります。

いざという時の一致団結や実力以上の能力の発揮は、会社の底力として大切な要素でもあります。

しかし、一人一人の身体が増やせるわけでもありませんし、一人24時間という原則も変わりません。

労働時間は、一日8時間ほどですから、この中で、いかに効率よく仕事を進めるかが課題ですね。

人間が仕事を進めるのですから、個人差もあり、得手不得手もあります。

効率が良い状態ならば、80%の時間で通常業務を完了し、20%の余力で、将来に対する技術開発や研究などを手掛けているようです。

むしろ、社員にこのような仕事を求める業績好調な会社もあります。

中小企業の多くは、人手不足であったり、人材不足があり、苦戦を強いられる要素もありますから、難しいですね。

経営的な考え方で、将来に向けて、この全力のペース配分を考えていく必要はありますね。

これは、個人個人の生活にも、当てはまるように感じています。

「やること」「できればやりたいこと」「できればスゴいこと」のリストを作り、整理整頓しておいて、自分の時間とエネルギーを上手く配分できれば理想形ですね。

イメージにないことは、チャンスが巡ってきても、活かすことができませんから、そのための備えとしても、せめて、リストアップと整理整頓は心がけておきたいです。

自分の「全力」を適正に知っておくことも大切な要素ですね。

エジプト脱出本番 13:17-22

『 ◆火の柱、雲の柱
さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。(13:17-22新共同訳)』

「シャカイナグローリー」という言葉があります。あまり耳にしませんが、クリスチャン用語です。

「創造主である神の栄光が現れる」ことを指します。

肉眼では見えない存在ですから、出エジプトの時は、夜は火の柱、昼は雲の柱として、イスラエルの民を守り導かれたのです。

エジプトから約束の地まで、最短ルートで約300kmですが、それを約40年かけて移動することになるのです。そんなこと、誰も考えていなかったと思います。

陸路は、先住民がいたので、戦争をしなければ、道が確保できなかったのです。戦争となると、エジプトに逃げ帰る民が出てくる懸念もあったと記されています。

そして、誰もが想像していないルートへと歩を進めて行くのですね。

これは、創造主である神が民と共にいて、民を守り導くという、「究極的な導き」があります。

荒野の中でも、イスラエルの民は、生活に窮することはなく、世代交代しながらも、移動をし続けることができたのです。

主が共にいるという安心感がありながらも、人間の感情は無い物ねだりをしてしまいます。エジプトの奴隷生活の方がマシだったという人も現れてきます。

21世紀に生きる信仰者には、「神の宮」として「三位一体の第三位格である聖霊が内住」されています。ですから、「世の終わりまで共にいる」という主の約束は今も有効なのですね。

動画 貫禄の差 コーギーvsラブラドール


Harper is Disapproving of Lab Friends Height || ViralHog

「小さな方が大きな方に勝ちたい」という気持ちが強いのかも知れませんね。

これは、コーギーvsラブラドールの動画です。

画面から伝わってくるのは、コーギーの必死さとラブラドールのゆとりです。

自分がどちらに感情移入して見るかによって、気づくことも変わってくるコトでしょうね。

動物同士の接し方のお手本だと感じました。

あなたは、どちらに感情移入しますか?