永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

動画 名キャッチャー ドラフト候補?


CAT GOLF KEEPER |ANIMALANIMALS

ゴルフの練習をお家でできる人もうらやましいですが、そのお家の飼い猫もスゴい特技をもっています。

飼い主は、アプローチの練習をしているのですが、そのボールを悉くネコちゃんに補給され、練習になっていないようです。

論点がずれました。

このネコちゃんの運動能力、反射神経など身体能力の高さは、スバラシイですね。

ただ、野球のキャッチャーならもっと適任だったのかも知れませんね。

せっかく自宅でゴルフの練習をしたいと思っても、このネコちゃんがいる限りは、その目的は果たせそうにありません。

でも、ネコちゃんとのコミュニケーションは楽しそうですね。

私を傷つけるのは私自身 聖ベルナール

『私を傷つけるのは私自身である。私が受ける傷は本来私自身が持っている傷である。私自身のもたらした悩みを除いてはそうした悩みはすべて幻にすぎない。 聖ベルナール』

時には「あなたのその一言に私はひどく傷ついた」という訴えがあります。

状況的には、その一言は、その人にとっての傷に触れる内容だったのでしょうね。

誰でも、傷を抱えていますから、お互いに、殺し合わないために配慮をしてコミュニケーションをすることが大切ですね。

ただ、いつ、どこから、どのような言葉が飛んでくるかは予測不可能なので、その時に備えて、自分のマインドを整理整頓しておきたいですね。

「私自身を傷つけるのは私自身」とあるのは、自分が傷つく可能性がある一言を、いったん受け止めることができなくて、いきなり傷に当たってしまうイメージですね。

野球に例えると、キャッチャーが捕球できずに、金的する感じですね。

自分自身の中にも、情報を取り込むフィルターというか、きつく感じる言葉を包むオブラートが備えられていれば大丈夫なのかも知れませんね。

そして、生きていれば、誰でも傷は数多くあるでしょう、その傷があることを自分で受容しておくことも大切ですね。

また、「悩み」については、自分でつくり出しているとの指摘については、受け容れ難いと考えている人もいると思いますが、これが腑に落ちると、もっと生きるのがラクになるでしょうね。

26人の富と38億人の総資産が同じという世界 2020年

世界の超お金持ち26人の富と38億人の総資産を天秤にのせると釣り合うというのが、2020年の世界の現実だそうです。

貧富の差が大きいというには、かなりの開きがありますね。

「兆金持ち」というような桁違いな富裕層が存在しています。

それは、彼らなりの英知を結集して、できる限りのことをしてかき集めたのでしょうね。

「何のために?」 というのは私には理解不能です。

でも、これからの時代には、ますます、貧富の差は開きが出てきて、持たないものは命まで亡くすのでしょうね。

いよいよ、IT社会が入口の電子世界統一政府がAIを駆使して、全世界を統治する時代の到来のようです。

もうすでに、その時代の入口に突入していると言えるかも知れませんね。

電子的に見えるものの価値観と人間の存在(いのち)そのものが天秤にのせられているようなイメージもありますね。

ただ、創造主である神の視点で考えるならば、人間の存在(いのち)ほど、貴重なものは無いわけですから、電子政府にお付き合いをしなければいけない部分と、自分の存在を守るコトをよく考えてバランスを取っていきたいですね。

心地よい眠りを 箴言3:23-24

『こうして、安心して自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは心地よい。(箴言3:23-24新改訳2017)』

人生の約三分の一は眠っています。これは、健康を保つ基本です。

体調を崩す要因で多いのは、不眠です。

健康を維持するために不可欠な睡眠は、必要な横になっている時間ではなく、眠れたという実感です。

別な言葉で言うと「心地よい眠り」なのですね。

そのために不可欠なのは、恐れからの解放であり、安心です。

恐れは、人から、あらゆるものを奪います。

パニックになると過呼吸症状を起こしたり、免疫系の暴走が起きてしまうことがあります。

恐れは、自分の身体を守るための範囲で用いられる防衛反応であれば良いのですが、リスクが色々ある昨今、必要以上に恐く感じてしまうのも無理はありませんね。

暗い部屋では眠れないという人もいますし、目を閉じるとネガティブイメージが広がって大変だという話もありますね。

このような話を聞くと、横になって目を閉じると爆睡できる人は、その面においては、とても幸せな人という風にも考えられます。

より良い健康のために、心地よい眠りを大切にしたいです。

他人には完全を求めてしまう性 トマス・ア・ケンピス

『われわれは好んで他人が完全であることを求めはするが、自分自身の欠点を正そうとしない。 トマス・ア・ケンピス』

「自分自身のことは自分が一番知っている」というセリフは、自己防御も最後の砦なのかも知れませんね。

でも、他人の観察と指摘は、全部ではないものの、ある程度、的を射ていることが多いのも現実です。

このようなやりとり一つでも、主観と客観がぶつかり合いますから、スゴい火花が散ることにもなりますね。

主観と客観は非常に興味深く、他人を観察する客観性と、自分のものさしで観察するという主観の合成が、相手の理想を作り上げたりしますから、提起したテーマは当たっていても、方法論として適用がマッチしないなどがあり、ミスマッチに発展するという現象もありますね。

多くの人は、自分が思っているほど、自分自身のことを観察していないのが現実ではないでしょうか?

その理由は、一言で言うと、辛くて辛くて、観察し続けられないからです。

それが、他人に完全を求める視点で、自分自身を観察していればなおさらです。

そもそも、人間は不完全な存在ですので、お互いに不愉快にならない程度に、配慮するという視点が、ソフトランディング地点なのかも知れませんね。

飛行機も無事着陸か、不時着陸あたりにしておかないと、墜落ということになりかねませんから配慮できる範囲で着地点を探りたいですね。

夢中と依存 子どもの力01

「依存症」という言葉が一般化して、それにハマりたくないという恐怖感が漂っています。

子どもの成長を妨げる要素として、「集中力を削ぐ」という事があります。

子どもが夢中で、なりふり構わずにしていることを周囲の保護者がストップをかけてしまうことです。

どろんこ遊びであったり、虫取り、魚獲りなども、子どもは服が汚れることなどお構いなしで没頭できます。

親は、洗濯や服が傷むことなどが気になりますし、何よりもケガをされたら大変だと考えますので、ストップをかけたくなるのも理解はできます。

一定の配慮や見守りは必要でも、興味を持って没頭できるようにしてあげられたら、子どもも幸せですよね。

最近のデジタルデバイスの普及は急すぎますね。子どもが興味を示して、ほとんど直感でできてしまうように作られていますので、これこそ、「楽しむを超えた依存」に注意が必要です。

これらの業界で、成功を収めた創業者達は、家族に対して、できるだけデジタルデバイスを使わないように配慮しているようです。それだけ、「依存性が高いことを認識している」のですね。

薬物には気をつけても、日常飲んでいるペットボトル飲料には、糖分過多なものも多くあります。血糖値を健全に保つためにも、子どもの将来のためにも、ほどほどにした方が良さそうです。

アヘン戦争などは歴史の教科書に載っていますが、白い粉(砂糖)やぶどう糖液糖なども取扱注意なのですね。気をつけないとヤバいらしいですよ。

自分から、カタチをつくるアート系、活字やアートを観賞する系、自分で文章を紡ぎ出す系などのクリエイト系に没頭できる子どもが育つと、この人間社会は、ユーモアに富んだ可能性が広がるのではないでしょうか。

参考文献 「子どものチカラを信じましょう 高橋孝雄 著」

光と闇の世界観の狭間で マルコ8:34-37

『それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。(マルコ8:34-37新改訳2017)』

毎日の生活の中で、世界情勢が激変していく中で、光と闇が激しくぶつかり合っているイメージを感じます。

一人の人間として感じるコトは、光と闇のバトルは、闇が優勢だということです。

これには、無力感や徒労感を感じてしまいます。また、「自分の想像通りにならない」という現実もガッカリしてしまう要素の一つですね。

また、一人の信仰者の立場に立ってみると、「創造主である神の約束はいつ成就されるのか?」とか、「自分の実感として、闇の勢力が駆逐されたところを目撃したい」などと考えてしまいます。

でも、これは、自分が与えられている武器(両刃の剣)をむやみに振り回すだけになりかねないので注意したいところです。

高みの見物的な視点で言えば、「いつか闇の勢力は駆逐されるのだ。どこまで、闇の勢力ががんばるのかを見届けよう。」という客観的な考え方もできます。

実際は、創造主である神の計画は人が気づかないところで、確実に進展しているのですね。

その時に、少しずつ近づいているという思いで、今日も一日、明日の備えをして、コツコツと歩みたいものです。

信仰者の次のステップは、空中携挙ですね。