永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

向き合っていることが大切な時こそ横やりが入る

「今日はこれだけはやり遂げよう」と考えていると、何かしらの飛び込みの用件が入ってくると言う経験はありませんか?

ものごとには、重要と緊急という分類もありますが、優先順位からするとそれほど高くないのに、緊急という事態も起こります。

それをどうしても回避したいならば、どこかに籠もってでも重要に向き合うことも選択肢としてはありますね。

「そういうことはあるものだ」という心構えがあるだけで、「おいでなすったな!」と受け止めることができるのではないでしょうか。

緊急性が高い救急という医療の現場では、トリアージという手法が導入されて、救命という観点から、優先順位をつけるという時代になってきました。

この手法を自分の向き合っているテーマに応用してみると、試行錯誤は必要でしょうが、重要と緊急の区別ができるようになる可能性がありますね。

重要な案件が処理できると、緊急事態も沈静化しますから、実に不思議なコトです。

安らぎの為に必要な要素 マタイ11:29

『わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(マタイ11:29新共同訳)』

「軛(くびき)」とは、牛などを農耕に使う時に、二頭をつなぐための木製の道具です。

このフレーズでは、イエス・キリストが「私とペアを組みませんか?」と誘っていると言ったら分かりやすいでしょうか。

共同作業では、息がピッタリ合っていれば、効率は上がりますが、片方が逆方向にいけば、作業が進まないばかりか、ストレスが増大してしまいます。

当時の農耕風景になぞらえて、「私とペアを組めば、安心だよ」と説明しているのです。

その理由は、「柔和で謙遜な者だから」とのことです。

「柔和」は、やさしくおだやかという意味です。「謙遜」は、おごらず控えめに振る舞うという意味です。

そのようなイエス・キリストと共に、軛を負うならば、ペアを組む私のペースに合わせて、やさしく穏やかに過ごせるので安心しなさい。と、いうことなのですね。

現実的に、いつも一緒にいることは、人間にとって困難な要素も出てきます。これも、忍耐してお付き合いをしてくれるのは、「100%神であり、100%人となられたイエス・キリスト」だけですね。

動画 あー疲れたの瞬間


Cat Gives Up Mid-Game

あー疲れたの瞬間とは、このような感じかもしれません。

しかし、こちらの動画の方が、圧倒的に可愛いでしょう。

ネコちゃんの遊び道具にも、知育グッズが流行っているのでしょうか?

「あー疲れた」って聞こえてきそうな雰囲気でした。

スマホなどの発達で、かわいい瞬間が撮られる時代になりましたね。

ペットの皆さんも気が抜けないですね。心中、お察しします。

心の目でみる サン・テグジュペリ

『心で見なくちゃものごとは見えないさ。肝心なことは、目に見えないんだよ。 サン・テグジュペリ

肉眼的な視力の限界でしょうか? 体験的にも、肝心なことは目で見るよりも感じるコトの方が多いようです。

心で見るとはどういうことなのでしょうね?

視覚情報は状況を的確に判断する為に必要な要素です。しかし、それだけにすべてのエネルギーを注いでしまうことも課題が残りますね。

視覚情報が必要ない時の実験です。目をつむってみてください。

目をつぶってみると視覚情報は無くなりますが、自分のイメージにある様々な画像が出てきませんか?

意識無意識問わずに、自分の中に蓄積されたイメージが浮かび上がるのです。

これらが、視覚情報の補完になる要素ではないでしょうか。

例えば、おいしいモノを口に入れた時の、何とも言えない表情は、「おいしい」の一言を超越する表現力を持ちますね。それらの一瞬の画像も脳のイメージには残っているのですね。

脳と心の関係も説明できない領域のモノです。しかし、五感と第六感と合わせた人間が与えられた完成を発揮する為に備えられた貴重なモノなのですね。

異常気象の時代なのでしょうか?

偏西風の蛇行などが、異常気象をもたらしているようです。また、北極海では氷が溶けすぎていたりするようです。

実際の所、現地に赴いていないので、どうしてその様になっているのかは、確かめようもありません。

「今年の冬は暖冬です。」と言われれば、「なるほどなあ」という感じです。

エルニーニョ現象」なども異常気象の説明に取り沙汰されるのですが、どうしてそうなるのかは理解できていません。

地球上の変化も、気温の変化の歴史はあるようなのですが、私には、今イチ理解不能です。

雪が大量に降った冬だったと思ったら、ほとんど、雪が降らない冬が来たりして、スキー場が破綻したり、雪解け水の枯渇を危惧する声も聞こえてきます。

いったいどうなっているのか? さっぱりわかりません??

人間としては、適度な水分の供給と自然災害は無いことを願いたいです。

ほんとうに大地震や風水害は遭遇したくないですね。

本当の末期現象はどのようなモノでしょうね。

モーセの基本姿勢 謙遜 民12:3

モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。(民12:3新共同訳)』

モーセは、十戒の映画で印象的なあの人です。その風貌が本人とどれくらいの差かはわかりませんが、紅海が分かれるシーンのインパクトは印象に残っている人が多いようです。

この人は、生まれてまもなくナイル川に葦で編んだ舟で捨てられます。これは、当時の王の勅令で、「ユダヤ人の子をナイル川に投げ込め」とされたいたからです。

そこに、王女が沐浴に来て発見され、王女の養子として育てられます。これも不思議なコトですが、実母は、乳母としてモーセを5歳まで育てて、王女の元でエジプトの教育を受けます。40歳までエジプトにいましたが、その後、ミデアンに逃亡し、そこで40年間羊飼いとして生活します。そこで、創造主である神の召命を受けて、エジプトで奴隷状態だったユダヤ人を「出エジプト」させることになります。

数奇な人生を歩んだモーセですが、彼は、話すのが難しかったようです。そこで、補佐役に実兄のアロンが選ばれたりしました。

モーセは、並々ならぬ正義感を発揮し、殺人までした人です。その彼が、「謙遜」というイメージは、ほど遠いようにも感じます。

この謙遜とは、「創造主である神に生かされていると自覚できる人」、また、「自分の限界を知り自覚していること」などがあげられます。「ナヨナヨ」とか「ヘコヘコ」している人を謙遜な人と誤解する事がありますが、表面的な弱さではなく、創造主である神に対する心の状態が評価されていると言うことです。

謙遜は、装うことではなく、心の態度の現れなのですね。

敵は多いモノ トルストイ

『敵は常にあるであろう。敵がないように生きることはできない。それどころではない、善良な生き方をすればするほど敵は多いのだ トルストイ

「寄らば大樹の陰」や「長いものには巻かれろ」を逆に表現したようなフレーズですね。

人間として、「敵がいなくなれば、もう大丈夫だ」と考えがちですが、現実的には違いますね。

敵だと思い込んでいた人が、実は、最大の味方だったり、最大の味方だと思っていた人が、実は裏切り者のスパイだなんてこともありますね。

この世に生きると言うことが、人間にとっていかに試練であるかを示しているフレーズとも考えられます。

「ある」ものを「ない」と考えるよりも「ある」ものを「ある」と認めて、どのように対処するかを考える現実的な思考が大切ですね。

ゴキブリは、我が家の台所にはいないと思っても、どこかで生きているように。