永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

大切な誰かのために ヨハネ10:10 いのちを得、豊かに

『盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。(ヨハネ10:10新共同訳)』

誰かを訪問すると、あいさつもそこそこに、「で、ご用件は?」という流れになります。

目的を明確にすることは、お互いにとって時間を浪費しないためにも大切ですね。

ここで、たとえに使われているのは「盗人」です。被害者にはたまらない話ですが、盗人は、モノや金を取りに来るだけではなく、いのちまで盗って、殺してでも奪うという目的が示されています。

「わたしが来たのは、」の「わたし」は、肉体に宿った100%人であり、100%神であるイエス・キリストのことです。

イエス・キリストは、ユダヤ人に分かりやすいように、羊飼いと羊の関係で繰り返し例え話をしていましたから、ここでも、人間を羊と例えて話しているのです。

「命を受ける…豊かに受ける…」と記されているのは、盗人が奪う為に来るのとは真逆ですね。

イエス・キリストは、良き羊飼いとして、羊に命を与える為に、自らの命を犠牲にするためにこの世に来たのですね。

「命を与える」という行為は、創造主である神にしかできないコトですね。

また、「命」は継続性が大切ですから、命を受けて、さらに豊かに生きていけるのですね。

「大切な誰か?」とは、創造主である神が命を授けた全人類、一人一人に向けた精一杯の愛の表現なのですね。