『或る人間の正体をその幸福さによって評価しようとするならば、彼を満足させるような事柄ではなく、彼を悲しませるような事柄をたずねるべきである。 ショーペンハウアー』
人間は、悲しみに直面したときにその正体を計ることができるというコトのようです。
また、浮き足立つような嬉しいときにも正体が垣間見えるコトがあります。
このフレーズでは、幸福さを評価すると言うことですから、悲しさのゲージの方が理に適っているのでしょうね。
人生には、さまざまな出来事に遭遇します。その中でも、悲しみを味わうときに、どのように消化するのかで幸福度の実感が違うのでしょうね。
人間は、幸せを実感していたいし、大切な人には、幸せで居て欲しいという気持ちもあります。でも、実際の所、幸せの正体も曖昧です。
人生にはさまざまな出来事があるし、それらはあるのが自然で避けて通るのが不自然という原則があるように感じています。例え、試練に遭遇して悲しい気持ちになっても、それによって、得られるものが数多くあります。それは、天来のエネルギーの供給の実感であったり、試練を通過することに因る経験値の増加だったり、その中で得られた人脈などもあります。
このようなことも踏まえれば、その人の正体(実態)は、悲しいと感じる要素の方が、正直な反応が出やすいというのでしょうね。