永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

大魚の腹の中にいたヨナを想う

『 ◆ヨナの救助
さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと 主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると わたしの声を聞いてくださった。あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた。潮の流れがわたしを巻き込み 波また波がわたしの上を越えて行く。わたしは思った あなたの御前から追放されたのだと。生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。大水がわたしを襲って喉に達する。深淵に呑み込まれ、水草が頭に絡みつく。わたしは山々の基まで、地の底まで沈み 地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ あなたは命を 滅びの穴から引き上げてくださった。息絶えようとするとき わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き 聖なる神殿に達した。偽りの神々に従う者たちが 忠節を捨て去ろうともわたしは感謝の声をあげ いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。(ヨナ2:1-11)』

この箇所は、預言者ヨナが、神の命を受けて、アッシリヤに行けというのを拒否して、タルシシに向かったために嵐に遭遇し、それを鎮めるために、ヨナ自身が、「自分を海に投げ込んでくれそうすると嵐は静まる」といって放り込まれた後の部分です。

彼は、複雑な思いでいたでしょう。敵国であるアッシリヤに警告に行けと言われたことも腑に落ちない気持ちがあったのでしょうか。

また、ヨナが神の示す道からそれても、そこに神はいて下さったということですね。嵐を通じて御心を知らせたり、海に放り込まれるように仕向けたり、さらに、巨大な魚まで備えているというのですからスゴいですね。

この巨大な魚の腹の中で過ごす「三日三晩」は、ヨナにとってはどうなるのかいつまでなのかわからない心細い時間だったように感じます。これが、やがて福音書にでてくる「ヨナのしるし」となるのですね。つまり、イエス・キリストが十字架に架かって死なれ、葬られ、三日目に復活されたことの預俵だったのですね。

ヨナは、巨大な魚の腹の中で「主に祈り、叫ぶと、主が答え、私の声を聞いてくださった」とあるように、真っ暗であろう場所で、ひたすら祈って叫んだのでしょう。

「救いは主にこそある」と告白し、陸地に吐き出されることになりますが、自分にとって命懸けのピンチを感じた時に、どのような行動をとるかも、試されているのでしょうね。

巨大な魚は、三日三晩、お預けだったのかもしれませんね。