永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

究極の選択は冷静にはできない

「たった一つ、無人島に持って行くとしたらどんなモノですか?」と問われても「一つ」がネックになり、ナカナカ答えに困ります。

何かを選んで持ち込んでも、「これじゃなく別のものにすれば、こんなことができたな?」などと考えてしまう性格の人は、いっそのこと、手ぶらで言った方があきらめがつくかも知れません。

二つの部屋があって、どちらかが正解で、どちらかが不正解だと設定されたら、相当、せき立てられないと選択できないですね。

これは、表面上慎重を装う性格の影響かも知れません。

私の場合、選択の過程で浮かぶのは、「この選択をミスしたらどうしよう?きっと次はないのかもしれない」とのネガティブイメージが大きく膨らんでいるのだと考えられるのです。

簡単に言えば、「失敗したらどうしよう?」ですね。

失敗した時のことを先取りして、「ドキドキ」してしまって、心拍数が上がるというイメージですね。

こんな優柔不断な私でも「イエス・キリストをメシア(救い主)と信じる信仰者」を究極の選択として選びました。それは、自分のために、贖いの生け贄が備えられたこと、そして、永遠の幸福に入れていただける有り難さを感じてのことです。

これが、私が選んだ究極の部屋なのです。そして、これを信じつつ、永遠の幸福マインドで生かされています。感謝なことです。