永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

平和をつくり出す人

『平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9新改訳2017)』

平和とは、自責からも他責からも解放されることかも知れません。

別な言葉で言うと「誰からも咎められない」という表現のが分かりやすいでしょうか?

そもそも、平和な状態というのは、どのような時に訪れるのでしょうか?

経済的にも満たされていて、社会的にも安泰で、家庭も穏やかな時とイメージすると、かなり現実とのギャップが広がるようにも感じられます。なぜなら、人生の中で、順風満帆なときは、それほど長い期間ではない人が圧倒的に多いからです。

船に乗っていて、嵐に遭遇しても、大丈夫と思っていられるかどうか、個人差も大きい話だと思いますが、それが平気だったのは、ガリラヤ湖上でのイエスくらいかも知れません。

ほとんどの人間は、船が転覆や沈没したらどうしようとガタガタと震えるのです。無論、私も、ガタガタと震えます。でも、嵐の中でも大丈夫と平気で寝ていられる主イエス・キリストが共にいてくれるから大丈夫なのだと感じられる時に、穏やかな気持ちになれるのですね。

平和の源である存在との関係が大切なのですね。