永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

羊のために

『わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(ヨハネ10:11新共同訳)』

私たち人間を「羊」になぞらえた上で、創造主である神の人間に対する愛を表した一節です。

かつて、イスラエルを統治したダビデ王も少年時代は羊飼いでした。そして、その時にはライオンや熊と闘ったと記されています。命懸けで羊を守るのが羊飼いの役割でもあるのですね。その経験をペリシテの巨人「ゴリアテ」を前にしてすくむ、大人たちの前で発揮し、イスラエルに勝利をもたらしたのです。

人間を救済する救世主として肉体に宿ったイエス・キリストは、正に、命を差し出して、全人類の罪科を身代わりとして、支払って下さったのですね。

これが「良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と記された意味なのです。

イメージとしては、弱った子を助けるために、自分の顔のアンパンを差し出す「アンパンマン」のような感じでしょうね。そうするとジャムおじさんが新しい顔を作って、仲間がアンパンマンのところに届けてくれる。作者のやなせたかしさんは、何をモチーフにされたのでしょうね。

この「良い羊飼い」は、私の「良い羊飼い」でもあり、全人類の「良い羊飼い」でもあります。

どこかで、お世話になるなら、命懸けで守ってくれる「良い羊飼い」の所にお世話になりたいモノですね。