永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

育ててもらった恩という呪縛

『育ててもらった恩は、ちゃんと返さなきゃね(「ぼくたちが選べなかったことを選びなおすために(幡野広志 著)」p131より)』

何気ない日常の中で、不用意に発してしまいそうなフレーズで、この箇所を読んだ時に、思わず「ドキッ」としてしまいました。

確かに養育に対する感謝の気持ちは有難く感じている。でも、それは、義理とか、どれだけしたら恩が返せたとか比較できるモノではない。

また、そのために看病や介護などにすべてを犠牲にして返すことができるかという現実も出てくる。

現実問題として、義理とか恩ではなく、必要性から、早期退職をして介護や看病に付いている人も少なからずいます。そのような人達に対して、外野はとやかく口をはさむのはおこがましいと感じる。

これは、分けて考える必要があるテーマではないでしょうか。

「誰のために、何のために、自分が何をどこまでできるのか?」という問いに対して、でてくる答えは、ケースバイケースで多種多様なのでしょうね。

筆者の場合、「自分のために、自分ができる部分を尽くしたい」と考えると、誰かに支持されたとか、恨みをもたなくても済むのかなと考えています。

いろいろな考えがあるテーマですね。