永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

隠し事からの解放

『私は自分の罪をあなたに知らせ自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを【主】に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。セラ(詩32:5新改訳2017)』

カミングアウトということばが最近多く使われるようになってきました。

一方、「墓場まで持って行く秘密」も増えているように感じます。

自分は、秘密にしているつもりでも、実際は多くの人が知ってしまっていることもありますね。

この隠し事ほど、心苦しく感じるモノはないと思います。

いつか誰かに知られて、それを弱みに脅されるのではないだろうか?などと、ハラハラドキドキしながら、逃げ続けなければならないとしたら、気が休まる暇もないことでしょう。

冒頭の聖句は、ダビデ王の詩です。彼の経験を綴ったものですね。

聖書の記述をたどり、彼の生涯を見て見ると、彼は数多くの失敗をしています。しかし、預言者などにそれを指し示されると、素直に告白し、悔い改めています。

彼は、告白して悔い改めた時に、赦されたという実感を味わったのだと伝わって来る文章です。

彼が用いられたのは、過ちを認める謙遜さと、悔い改める素直さによるものでしょう。

今の時代は、何かを不祥事だと論われると、生存権まで脅かされることもあります。

ダビデ王の人生に習い、くじけずに、謙遜と素直さでリスタートできるというところを頭の中心において考えていきたいですね。