永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

メシア・コンプレックス(Messiah complex)

『 主イエスキリストは確かに「わたしの羊を飼いなさい」と言われたのだが、人間の手にかかると人はいつしか、自分が”牧会者”と思い込んで、自分が羊を養わないといけないと思い込んでしまうものらしい。
 つまり、人は”メシア・コンプレックス(Messiah complex 救世主妄想とも呼ばれる、個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉。)”の餌食となって、その支配性を人に及ぼしてしまうのである。これは恐らくイエスが「見よ、わたしはあなた方の中で仕える者のようにしている」と言われたこととは、全く趣きを異にする現実であろう。(参考文献:暴力と人間p183)』

「わたしの羊」という「わたし」は誰を指すのか?という投げかけを対話の時に引き合いに出すことがあります。

時には、牧会者に対してであったり、信仰者に対してであったり、状況は様々です。

私は、キリストの身体である信仰者の集合体(コイノニア)の羊という理解が健全だと考えています。

また、地域教会にもメンバーシップがあり、それもまた、「羊」と呼ばれるもので、こんがらかってしまうのですね。

地域教会の牧会者は、神に任命されたという立ち位置になっています。現実的には、本当にそうなのでしょうか?というパターンもあるのかも知れないと考えます。

いずれにしても、群れのリーダーは、自分の集団を守ろうとします。メンバーに対しては、あなたのためと言いますが、本当のところは、リーダー自身の利益を守るためであったりすることもあります。

そういう流れの中で、工藤信夫医師は、多くの組織的な歪みによると見られる方々の診察を続けてこられました。ですから、工藤医師の文章からは、何ともやりきれない「ため息」が溢れ出ているように感じられます。

私は、大切な要素として、信仰者の個人的自立と、健全な集合体という自立集団だと感じています。

つまり、カリスマ的リーダーに頼りすぎず、自分で、神と直接対話し、垂直的な交わりの中で生き、水平的な信仰者と上下無く気さくに交われる環境が求められているのだと考えています。