永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

体罰=暴力というよりも大切なコト

戸塚ヨットスクールが世間から批判を浴びる時代がありました。それでも、ニーズがあるようで、方法を工夫しながら、現在も活動されているようです。

今は、引きこもりを強引に引き釣り出す人達が批判の対象になったりしています。

最初に、筆者のスタンスをハッキリさせます。私は、できるだけ暴力を使いたくありません。正当防衛としては使います。静止をしたりする時には、ボディータッチをすることがあります。必要に応じて、保護のため相手を拘束するケースもあります。基本的に、ケガをさせない、ケガをしないポイントを探ります。

さて、対象者がどういう状態であるか? 「引きこもりで、一切出てこないとか」、「家庭内暴力をする」とか「多動で徘徊をする」など様々なケースがありますよね。

また、どういうタイプか? 「問いかけに対して無反応」「一方的にブツブツいったり、罵声を口にしたりする」とか「孤立しているのか、社会的接点があるのか」など、タイプに対する配慮も大切なのだと考えています。でも、ケースバイケースですね。

最も大切なのは、規律をどう伝えるかだと考えます。

世の中の常識と言われるモノは、ローカルルールですので、世界中どこでも通用するマニュアルは存在しません。

ただ、互いに自他境界線を守るための規律を理解していれば、相手に対する配慮にも気配りができるようになるのかも知れません。

あるいは、引きこもりの要因として、相手に対して、気を遣いすぎたとか、コミュニケーションがうまくいかなくて、避難したという人も多くいるので、そのところへの配慮は非常に大切だとも考えています。

暴力は、人間の防衛本能に働きかけ、立ち向かうという領域を呼び覚ます要素は否定しませんが、その対象は多くないようにも感じています。

砂浜で、貝を獲る時のように、ほじくり出すよりも、塩で誘い出すというような方法が功を奏することもありますね。

私は、引きこもる当事者よりも、接する方との対話をすることが、サポートになるのだと考えています。