永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

詩は完成されないという考え方

『詩は完成されず、放置されるのみ。(世界の名言名句1001 p194 ポール・ヴァレリー)』

フランスの詩人・哲学者である、ポール・ヴァレリーは、自作の詩「海辺の基地(1920)」の再検証で述べた言葉です。

詩人が完璧主義ならば、本当の意味での完璧な仕上げなどできるはずもないという考え方を基準にすれば、それは、不可能なので、放置せざるを得ないようですね。

完璧主義でなくても、文章の推敲もキリが無く、ある程度の筋道が通っていればOKという感覚なのでしょうかね。

そもそも、絵の一つにしても、「これで完成」というのは、作者の納得の結果なのか?はたまた、妥協の結果なのか?他者には、はかりかねます。

芸術や文章と同じように、肉体的生命に宿る人間も、生かされている限り変化の連続であり、まず、完成を見ることはないのではないでしょうか?

「一生、発展途上」とか、「いくつになっても、まだ成長できる」などと、言われるのも、当事者が、終着駅(完成形)だと認めなければ、発展的変化の余地はあるのですね。

風に吹かれる柳のように、ユラリユラリと、しなやかに生きていきたいですね。