永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

待ち焦がれて病むケースもある

『待ち続けるだけでは心が病む。かなえられた望みは命の木。(箴言13:12新共同訳)』

この翻訳だけを見ると、受動的姿勢なのかな?と考えてしまいますが、他の翻訳の『望みを得ることが長びくとき(口)』や『期待が長引くと(新改訳2017)』を合わせて読むと、「自分の期待している望みがなかなか実現しない時に」、という状況が浮かび上がります。

願いが叶うと、気分は高揚し、スッキリもします。

と、同時に、「不安」や「これでいいのか?」という思いももたげてくるのですが、これは、棚に上げておきます。

祈っているのに、その願いがなかなか実現しないという体験は、ほとんどの人が日常で味わっていることでしょうね。

大原則として、物事は、創造主である神の時間軸で動いていますから、「神の時」に成るのですね。

人間の期待も含めての時間軸と、創造主の時間軸には、ギャップがあるのですね。

色々な祈り方はあるでしょう。

A「○○して下さい。私には、どうしても必要なのです。」

B「○○して下さったことを信じて感謝します。」

C「必ず、主の御心が成ることを信じます。今、私ができるコトを示して下さい。」

以前は、Aでしたが、今は、Cのパターンです。

主権を譲ることで、気楽になれましたね。今、できるコトに集中できますからね。