永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

弱さは強さ 赤子の無防備は最大級

『すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(2コリント12:9新共同訳)』

赤ちゃんは、無防備なのに、王様のようだ。などと言われます。

最近は、養育者不在の悲しいニュースを耳にしたりしますが、多くの場合、そばに養育者がいて、ニーズを探り最大限のケアをしてくれるのです。

ここにも、この聖句のエッセンスがあるように感じます。

元気だった人が、突然、病に伏せったときに、この聖句を聞かされても、ピンとこないのかも知れません。

嫌と言うほど、弱さを思い知らされた人が、弱さという衣を着た祝福という理解をするのでしょうね。

弱さとは、肉体的な弱さであったり、メンタル的な弱さであったり、霊的な弱さであったりします。

復活の主を受け容れた信仰者の心には、助け主である第三位格の聖霊の内住するスペースが設けられます。

人の心は、狭いとか広いとか、評価されるように、それぞれに容量があるのかもしれません。

そのスペースを信仰者と内住して下さる聖霊がシェアするのです。

ですから、私の心がしぼんでいるときには、内住している聖霊のスペースが広がると考えると、弱いときに、助け主によって強くなることができるのですね。

また、信仰者の人生は、人の努力と神の助力の共同作業ですから、このバランスが取れなくては、妙なことになってしまいます。

自分の分を常にわきまえて、自分がすること、ここからは、神に委ねることという区別をつけられると、自分の分に集中できるのですね。