永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

最善はなされる

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。(伝道の書3:11新改訳2017)』

『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ロマ 8:28新改訳2017)』

 

人間は、見えるところで、願いが叶って欲しいと考える傾向が強いですね。

日本には、年始には神社に初詣をし、幼少期はキリスト教教会学校に行き、クリスマスを祝い、結婚式は教会式で、子が生まれたら宮参りをし、お葬式は仏式でなどと様々ないいとこ取りをします。

これも、願いの表れなので、ニーズとして、このような傾向があったのですね。

ニーズも傾向も時代によって変化していきます。

しかし、人生をある程度歩んできた大人なら、夢や願望の類いが、叶わない経験を少なからずしているはずです。

当然、被造物である人間がもつ願望を否定されているわけではありません。

また、人間としてできるコトには、創造主である神は介入されないコトが多いです。

もう一つ、重要なコトは、内容とタイミングです。

夢や願望が本当に必要な内容かどうか? そして、時期はいつが適切かということは、創造主である神の範疇にあるということですね。

被造物である人間の本文として、永遠を考えること、そして、肉体で生かされている間、可能なチャレンジをし続けることがあるのですね。

人間的には、理想とかなり開きがある結果であったとしても、創造主である神からは、ベストであると提示されることもあります。

「すべて益とされる」ことに希望をおいて歩みたいですね。