「男性は…」とか、「女性は…」とか、一括りにして論議されるコトが多いのですね。
しかし、実際は、性別によって、思考パターンが定まるわけではないようです。
要素としては、親の考え方、生育環境、つまり、男兄弟の中で育った女性とか、女性が多数の環境で育った男性だとかで、影響を受けているというコトも多いようです。
結果、大別すると、性別よりも、論理優先か、感情優先か、などという分類になるのかも知れないと考えています。
同じ性別でも、当たり前は一人一人違うのが現実ですね。
ある人が、趣味の会の運営について漏らしていたことが印象的でした。
「余韻が欲しいのよ。」
明確化すると、「正解か不正解かよりも、また、時間で区切るのではなく、共有した時間を思い起こしたい。」ということのようでした。
社の方針が決まったら、その達成に向けて、一丸となれる組織人と、倫理的に感情的に抵抗を感じてしまう人とのギャップという視点もあるでしょうね。
組織人の構成比率が高い男性と、現実といのちを大切に考える女性の考え方の差という要素も考えられます。
あるがままの状態を受容できる性質は、本来は、子を生み育ててきた女性側にアドバンテージがありますよね。
世の中には、正解不正解よりも、実態で動いているのですね。
もちろん、理論理屈から得られる結論も大切なのですが、気持ちが充足するという課題にも配慮する必要がありますね。