永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

民の残りの者が全く断たれることはない。

『見よ、主の日が来る。かすめ取られたあなたのものが、あなたの中で分けられる日が。わたしは諸国の民をことごとく集め、エルサレムに戦いを挑ませる。都は陥落し、家は略奪され、女たちは犯され、都の半ばは捕囚となって行く。しかし、民の残りの者が、都から全く断たれることはない。戦いの日が来て、戦わねばならぬとき、主は進み出て、これらの国々と戦われる。その日、主は御足をもって、エルサレムの東にある、オリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け、非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く。(ゼカリヤ14:1-4新共同訳)』

終末について、様々なアクションがあります。

人工的に世界最終戦争を作りだして、世界を大混乱に陥れようとするグループもあるようですね。

約2000年前、イエス・キリストが初臨されたとき、民衆はメシアの到来に、即メシア的王国の実現を期待しましたが、創造主である神の計画は、そのはるか将来だったのです。

その時の政治家達は、イエス・キリストがメシアであっては、自分たちの権力が維持できないので、自分たちの手を汚さずに抹殺しようと企みましたが、悉く失敗しました。

その結果、創造主である神の唯一無二の最良のタイミングで、イエス・キリストがメシアとしての唯一の贖いを完成するに至りました。

「主の日」の到来も、同じ流れで起きることでしょうね。

信仰者は、ただ、天を仰ぎ見つつ、一日一日を大切に過ごすことが必要なのですね。

それが、信仰者に与えられた使命なのですね。