永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

平和の種が蒔かれた

『それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木が実を結び、地が産物を出し、天が露を滴らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを受け継がせる。(ゼカリヤ8:12新改訳2017)』

争いの中、希望を見ることができない民に、語られたコトバです。

「平安の種が蒔かれ…この民の残りの者に、これらすべてを受け継がせる。」

すでに、平安の種が蒔かれているというのです。

争いの中にいても、争いの噂を聞いても、すでに平安の種は蒔かれているのです。

それを希望の根拠として、平安の先取りをしたいですね。

それから、ほとんどの民が滅ぼされたように見えても、創造主である神は、「この民の残りの者」を確保しているというのです。

人間の視点では発見できなくても、そして、サタンの手が届かないところに、残りの者がいるのですね。

信仰者は、周囲を見回しても、同じ信仰を持っている人を見つけられない時もありますが、この地球上のどこかに、「残りの者」がいるのですから、孤独感で失望することはないのです。

イエス・キリストをメシアと信じる信仰者の希望の根拠は、平和の種であり、共同相続者としての民(仲間)が備えられていると言うことですね。