永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

「乾いたパンが一切れ」よりも

『乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(箴17:1【新改訳2017】)』

平穏の差と貧富の差の究極的比較ですね。

乾いたパン一切れは、あまり経済的には豊かでは無い状況ですね。

一方、「ごちそう」が満ちている所には、「争い」も満ちていると記されているのはショッキングですね。

これが、書かれたソロモンの時代にも、このような状況があったのですね。

乾いたパン一切れを分かち合って食べる家の方が、雰囲気も良さそうですね。

新改訳聖書2017では、「平穏」と翻訳されていますが、新改訳第3版では「平和」、新共同訳では「平安」と翻訳されています。真意は「穏やかさ」があるところということでしょうね。

「争い」も「紛争」「闘争」ともなると、激しい状況がイメージされますね。

「ごちそう」よりも「乾いたパン一切れ」よりも、何よりも「心が穏やかに居られる」ところが、大切なのですね。