永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

「おまえも死ぬぞ by 釈尊」

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https://www.asahi.com/articles/ASL7V52L9L7VPTFC00Y.html

(screenshot)

ちょくちょく話題になっているコトバのようですね。

肉体的生命に生かされている人間に定められていることですが、このように、ズバッと見せられると、ドキッとしちゃいますよね。

記事によると、岐阜県郡上市の願蓮(がんれん)寺に掲げられていたのを旅行者の中田さんがツィートし、4万回以上リツイートされ、「いいね」も10万件を超えたとある。

 石神明住職(80)は「人生の真実のあり方を端的に教えるのが仏教。死をひとごとに思いがちだが、死は誰にも平等に訪れる。そのことに目覚めることで、命や生き方を見つめ直してもらえれば」とのこと。

キリスト教的に考えると、「肉体的生命に死」が訪れても、霊的に永遠の生命を持っていれば、復活できて、永遠の幸福に入ることができるのですね。

「生きていて信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」と記されているのは、創造主である神がメシアであるイエス・キリストを通じて永遠の幸福を与えられると信じる信仰者は、信じた時点から、永遠の幸福に入れられていると言うことですね。

『イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」彼女はイエスに言った。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」(ヨハネ11:25-27【新改訳2017】)』