永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

「実に彼は神の子である。」ローマの百人隊長の告白

『しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。彼らはイエスの復活の後で、墓から出て来て聖なる都に入り、多くの人に現れた。百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れて言った。「この方は本当に神の子であった。」その中にはマグダラのマリアヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子たちの母がいた。夕方になり、アリマタヤ出身で金持ちの、ヨセフという名の人が来た。彼自身もイエスの弟子になっていた。この人がピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。そこでピラトは渡すように命じた。【マタイ27:50-58新改訳2017】』

メシアであるイエス・キリストの十字架刑を一部始終見ていた一人が、ローマの百人隊長でした。

その後の諸現象も目撃して、恐れや畏敬の念を感じたのでしょうね。

他の十字架刑も監視したことがあるのかも知れません。

または、メシアであるイエス・キリストの両側の二人との差を色濃く感じたのかも知れませんね。

でも、この「この方は本当に神の子であった。」という証言は、彼の信仰告白ですね。

ローマの百人隊長は、異邦人ですから、クレネ人のシモン、十字架刑になった強盗の一人に続く、異邦人の信仰者となったのですね。