永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ベルゼブル論争 赦されない罪

『そのとき、悪霊につかれて目が見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが癒やされたので、その人はものを言い、目も見えるようになった。群衆はみな驚いて言った。「もしかすると、この人がダビデの子なのではないだろうか。」これを聞いたパリサイ人たちは言った。「この人が悪霊どもを追い出しているのは、ただ悪霊どものかしらベルゼブルによることだ。」イエスは彼らの思いを知って言われた。「どんな国でも分裂して争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも分裂して争えば立ち行きません。もし、サタンがサタンを追い出しているのなら、仲間割れしたことになります。それなら、どのようにしてその国は立ち行くのですか。また、もしわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているとしたら、あなたがたの子らが追い出しているのは、だれによってなのですか。そういうわけで、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく者となります。しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。まず強い者を縛り上げるのでなければ、強い者の家に入って家財を奪い取ることが、どうしてできるでしょうか。縛り上げれば、その家を略奪できます。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしとともに集めない者は散らしているのです。ですから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけますが、御霊に対する冒瀆は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、この世でも次に来る世でも赦されません。木を良いとし、その実も良いとするか、木を悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によって分かります。まむしの子孫たち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えますか。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は良い倉から良い物を取り出し、悪い者は悪い倉から悪い物を取り出します。わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです。」【マタイ12:22-37新改訳2017】』

聖霊を冒涜する罪は赦されない」というこの箇所を使用して、組織的権威を守ろうとするリーダーがいます。この箇所の、そういう使い方は、間違っています。

口のきけない人から悪霊を追い出す行為はメシアにしかできない奇蹟だったのです。

ですから、群衆の反応は、「ダビデの子=メシア」なのだろうか?というものでした。

この反応に狼狽したのか?パリサイ人たちは、「イエスをメシアとは認めずに、悪霊共の頭であるベルゼブルに憑かれている」と流布したのです。

ユダヤ人の「タルムード」では、「イエスは魔術によって人を惑わせた」と書き、イエスが奇蹟を行ったことは否定していないのです。

これこそ、メシアであるイエス・キリストを貶める「御霊に対する冒涜」の罪だったのです。

創造主である神を神と認めずに、ベルゼブルと同一視するレッテルを公衆で貼り付けたのですからね。

その時代のユダヤ人だけが犯すことができたということです。

メシアであるイエス・キリストを当時のユダヤ人が受け入れていれば、メシア的王国が始まったのですが、この事により、御国は取り去られたのです。

その後、AD70のエルサレムの滅亡と神殿の崩壊へと至ることになったのですね。

さらに、それほど遠くない将来に、ユダヤ人は艱難時代を通る事になっているのです。

神の御国の到来を信じるものは、ユダヤ人も異邦人もメシアであるイエス・キリストの祝福にあやかることができるのです。